明治大学校友会逗子葉山地域支部ホームページⅡ

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正月は箱根駅伝とラグビー大学選手権の応援でした

1.明大は箱根駅伝予選会と決別

 昨年10月26日(土)の昭和記念公園での箱根駅伝予選会に西山、綾部、川﨑、小川、中山、根岸の6名が応援に駆け付けました。平成28年正月の箱根駅伝14位と8年振りのシード権落ち以来、4年連続予選会に回っていましたが東京国際大、神奈川大、日本体育大に次いで4位となり本戦出場を決めました。

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 昨年の予選会では筑波大が6位で26年振りに本戦出場を果たしたことと、名門の早大9位、中央大10位とかろうじて予選会通過だったのが印象に残った結果でした。

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 翌日開催された明大のホームカミングデーで山本佑樹駅伝監督からは「予選会は出たくない、スケジュール調整が大変」という強い意思表示の挨拶があったそうで、出席した西山、小川両会員も「明大は箱根駅伝予選会と決別」と受け止めたようです。確かに予選会のあと行われた全日本大学駅伝熱田神宮伊勢神宮)は15位と低迷でした。

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   ( ホームカミングデーで)    (2018年4月監督就任で今年の駅伝2回目)

 1月2日と3日は毎年恒例の箱根駅伝応援会で朝9時にJR逗子駅集合、藤沢地域支部の応援場所である南仲町交差点に合流して応援しました。なんと言っても東海大青山学院大東洋大、駒沢大、国学院大の上位5校は不動で前回5位の帝京大がどこまで頑張るかという状況の中、明大の今年の目標は良くて6位、最悪でもシード権は確保することでした。今年の1年生が4年生になるまでに3位以内に入り、第100回箱根駅伝迄には優勝する決意で臨んで欲しいと願っています。唯し他校は合宿所、グランドなどの設備が格段に良く有望な新人獲得に力を注いでいるのでこの面でも難しい環境ですが、山本監督からは「来年は有望な選手が入部する」と話が出ているそうです。

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 初日2日の往路エントリーは1区小袖(3年)、2区加藤(1年)、3区小澤(1年)、4区金橋(2年)5区鈴木(2年)でしたが、藤沢に来る3区は手嶋(2年)に変わっていました。1区2区とも10位で3区につなげ手嶋が順位を3つ挙げて7位、4区では9位で5区の山登りにタスキを渡しました。これまで明大は小田原迄は良くても山登りの5区で順位を大幅に落していましたが2年の鈴木が何と4つ上げて往路5位でテープを切りました。悪くてもシード権確保を願っていたので出来すぎの感があり、復路阿部(4年)を残しているので3日は期待も膨らみました。

 復路の当初のエントリーは6区坂井(3年)、7区村上(3年)、8区酒井(3年)、9区三輪(4年)、10区前田(3年)でしたが、全員変更になりました。山田監督が5位以内への思いを強くしたのではと思います。6区前田は5位をキープ、6区阿部は区間新で4位に上げ、8区櫛田(1年)が藤沢の応援場所に来てそのまま4位で9区村上につなげています。

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              (8区 藤沢の応援場所を通過する1年櫛田君)

 応援から逗子に戻り千登世寿司のテレビで最終の10区迄見て応援でした。村上も4位で10区河村(4年)に後を託しました。最終ランナーは他校とも強力選手を選んでいて1位青山学院大、2位東海大の順位は確定も3位から6位までが東京国際大、明大、国学院大、帝京大の4校がしのぎを削る状況となりました。結果は3位国学院大、4位は区間新を出して帝京大となり、5位東京国際大、6位明大となりましたが、3位との差は26秒で、往路9位だった早大は順位を上げて7位となりましたが、明大との差は2分57秒ありました。結果的に良くて6位の目標通りでしたが、あわよくば3位にも入れた状況でしたので出来過ぎの感がありました。

 予選会では4年生の故障で後輩が頑張ったことが良い結果を生んだようです。今年出場した選手は4年2名、3年3名、2年3名、1年2名でしたが、出場経験のある酒井(3年)を入れ来年は経験者9名が残り、今年期待されながらも出場しなかった1年の小澤や杉本もいて、これに有望な新人が加わり来年の箱根駅伝が楽しみです。

 5強に入っていた東洋大は往路11位から復路余り挽回できず総合10位と辛くもシード権は確保しましたが11年続いた総合3位以内が途切れています。

 

2.明大は3季連続ラグビー大学選手権出場  

 

 1月2日ラグビー大学選手権の準決勝があり、箱根駅伝応援組と別れて西山、仲内、小川の3名が秩父宮ラグビー場に駆け付けました。第1試合は早大対天理大で天理大は早大にチャンスを潰されラインアウトの連続失敗やハンドリングエラー等のミスで早大に14対52と大敗し、早大は6季振りの決勝進出を決め、平成20年以来16度目の優勝を目指すことになりました。

 第2試合が明大対東海大でした。東海大は明大のオフサイドの反則でPGを選択して先ず3点を先制しましたが、これから明大はFW,BKの一体となった反撃に出てその後、東海大に1トライしか許さず山崎、飯沼、射場、箸本の4トライと山沢の3G,1PGで29対10で勝利し昨年に続き2連覇をかけて新国立競技場での早大との決勝戦に臨むことになりました。

 

 1月11日は新年会を控えた役員会の日でしたが、ラグビー大学選手権のそれも明早戦での決勝戦ということで砂山、西山、仲内、小川の4名が応援で新国立競技場に初めて入りました。12月の第1日曜日は関東大学対抗戦全勝同士の明早戦となり明大が勝利していました。(昨年の対抗戦応援会ブログ参照)

 1昨年の明早戦で明大は破れたものの昨年の大学選手権では早大に勝って優勝しているため、相手チームに研究されて対抗戦での勝敗は関係ないというのが実情で早大も天理大で圧勝していることを考えると明大の勝利を望んでも勝敗はどちらに転ぶか判らない状況でした。外苑前駅から国立競技場まで大変な人の列で、30分くらい掛かり1時間少し前に到着しました。既にゴールポストの後ろや3階の自由席は超満員で凄い熱気に包まれていました。

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 我々は1層メインSS席正面左側のゴールポスト側、前から15列目の席に陣取りました。

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 左右の大型電光掲示板に明早それぞれの応援団の映像が映りその度に大歓声が起こります。

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 場内アナウンスが明早代わる代わる応援の小旗を振るよう号令をかけると6:4位で明治が多かったようです。グランドは360度大観衆に囲まれていて秩父宮より小さく感じました。またインゴールが10メートル位しかなく、これでは明治得意の山沢からインゴールにいる山村へのキックパスは無理だと思いましたが結果としてはやはり明早共そのようなパスは出ず、キックは高く上げバックスピンをかけてデッドラインを割らないようにしていました。

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 観衆5万7千人の中で14時30分キックオフで前半40分の試合が開始されました。明大は早々PGで早大(斎藤)に先制され、その後4トライを許しこれまでやってきたこと出せず0対31で前半を終了しました。前半後、田中澄憲監督から「後半は、1人1人がやるべきことをやっていないのでファンダメンタルをしっかり、ボールキャリアーが前に運んで欲しい」とのコメントがあったそうです。

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     (前半の雲山、トライにつなげられずも後半はトライを決める)

 後半は開始早々山村がトライを決め、早大にトライを奪われた後、箸本、山沢、山崎がトライを決めて明大の意地を見せ、その後早大に再度トライを奪われましたが、終了間近に雲山が後半5個目となるトライを決め後半は35対14でした。

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       (昨年FBからSOにコンバートした山沢のトライ)

 しかし前半の失った得点が大きく試合結果は35対45で早大の11年振り16回目の大学日本一許すことになりました。

 残念ながら我々は左サイドの席で、前半明治陣は右側で完璧に攻め込まれたので
我々の前で殆ど攻防はなく、後半はサイドが変わり早稲田陣が右側になったら明治が
圧倒的に攻め込み、これまた殆ど我々の前で試合をしませんでした。

 この試合は、中学時代から対戦してきた明大・山村(報徳学園)と早大・斎藤(桐蔭学園)の学生時代最後の試合でもあり、早大勝利で共に勝ち数が並び3月卒業することになりました。

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    (明大WTB 山村知也)          (早大SH 斎藤直人

 表彰式後、当支部応援者の目の前で早大の選手は全員が白いTシャツに着替え、大学選手権優勝の時だけ歌うことが許されている部歌「荒ぶる」を歌っています。

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 その間、明大チームは正面から時計回りに場内を回りすべてのファンに立ち止まって礼をしていましたが、正面左で早稲田が「荒ぶる」を歌っている後ろをうなだれて歩く姿は何とも寂しい限りでした。我々としてはは試合が終わればノーサイド精神が頭をよぎりますが、やはり「荒ぶる」を聞かされた”不運”と”屈辱”をしっかりと噛み締め来年のリベンジを誓いました。そのあとは3人で渋谷での残念会、帰りの電車の中もボックス席でつづきをやっています。

早大相良南海夫監督の談として「後半は明治が意地を出してくると思った。後半の40分もやってきたことを出し切って集中しようとだけ言い、笛が鳴るまでいくら点を取っても安心できなかった」

また明大田中監督の談として「早稲田は強かった。後半は反撃できたが前半がすべてだった」

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 なお後日談で、当日ダフ屋をあてにして新国立競技場まで行った“つわもの”がいましたが、チケットを入手できず、友人と飲んで帰り家でスカパーで後半だけ見て、やはり最初から全開していればとのコメントがありました。 

 

付記:昨年12月の明早ラグビー応援会の際に参加者に配布された資料の中に、明治と早稲田のラグビー部部歌の記述がありました。今回早大ラグビー部の「荒ぶる」が話題になりましたので、この機会に付記しておきます。

 

「明早両校ラグビー部の部歌について」 

明大ラグビー部の部歌“ルピコンの流れ”の歌詞を見ると、北島忠治監督を囲み岡野加穂留部長や部員が歌っているカセット映像が脳裏に浮かびます。岡野さんは当支部創立から深い縁のある方で学長を辞してから亡くなるまで当支部顧問に就任していただいていました。

 

1.明大ラグビー部の部歌 1926年に誕生しました。創部から4年目のことだったと記録があるそうです。

 

   ルピコンの流れ 勇姿を宿し 天山の嵐 将星をみがく

   知るや駿台 ラグビーの戦士 球蹴れば 空鳴り 球落つれば 地揺らぐ

   勝利は我にあり 勝利は我にあり 

バーシティー明治 バーシティー明治 バーシティー明治

 

ルビコン川は、イタリア中北部、ローマの北部を東西に流れる川で、紀元前49年のジュリアスシーザーがローマ内戦の時に、このルビコン川を南進し、レジスタンスとして立ち上がった話から、「ルビコン川を渡る」と言うのは、重大な決意の表れや後戻りできない決意のことです。

*天山の嵐~将星を磨くは天山山脈のことではないかと想像されます。天山山脈シルクロードに沿ったちょうど中国とキルギスカザフスタンの国境にあり、最高峰は7千メートルを超える。

*部歌の歌いだしから欧州~中国と来て、駿河台と繋がって行く。明治大学のグローバル度が伺えます。

*バーシティはvarsityのことで、代表チームとか一軍を表すが、varsity matchといえばOXフォード対ケンブリッジの試合のこと。いわゆる対抗(校)戦のこと。日本のvarsity matchといえば明治と早稲田の試合ではと思います。

 

2.早大ラグビー部の部歌 「北風」と「荒ぶる」の2つがあります。

「北風」

北風のただ中に 白雪踏んで 球蹴れば奮い立つ ラグビー早稲田

抜山の威力 蓋世の意気 男児の勢数あれど 

早稲田ラグビー ラララララ 早稲田ラグビー ラ

 

*北風に出てくる抜山蓋世という言葉は、中国の歴史書史記に記載され、日本でも項羽と劉邦でおなじみとなった項羽劉邦軍に四面楚歌作戦を取られ、敗退を覚悟した時に、虞美人に歌った垓下の歌の歌詞を引用している。項羽が自決して死んだのは、紀元前202年だ。ルビコン川の歴史よりも抜山蓋世の歴史の方が長い。

*垓下(がいか)の歌 : 力は山を抜き気は世を蓋う 時に利あらず騅(すい・愛馬)ゆかず 

騅のゆかざるをいかにすべき 虞や虞や汝をいかにせん

 

「荒ぶる」  作詞 小野田康一 作曲 早稲田大学音楽部

荒ぶる吹雪の 逆巻く中に  球蹴る我等は 銀塊砕く

早稲田のラグビーは 斯界になびき  いざゆけ我らが ラグビー早稲田

ララ早稲田 ララ早稲田   ララララ早稲田

 

*「荒ぶる」は1922年(大正11年)頃に試合前などに歌われる部歌「北風」に次ぐ第二部歌として作られた。作詞は早稲田OBの小野田康一氏(大正12年・卒)。戦後の混乱期は一時期忘れられていたのですが、1950年(昭和25年)度の主将であった松分光朗さんらが、ソプラノ歌手の三浦環氏に吹き込んでもらったレコードを小野田さんに聴かせてもらったところ、「早明戦に勝ったら歌おう」ということになり、試合前に練習して早明戦勝利後に歌ったことを契機として、大学日本一になったときのみに歌う伝統が生まれました。ちなみに歌の冒頭の「荒ぶる吹雪の逆巻くなかに」という一節は主将が単独で歌います。

そのときの最上級生のみ、冠婚葬祭のときにも歌うことが許される。それ故、優勝チームの下級生からは「自分の代でも荒ぶるを絶対歌います」という決意が異口同音に語られる。近年はフィールドに全部員・コーチ・OBが円陣を組み、主将の発声に続いて斉唱する。            

  • なお明治が野球の大学選手権で日本一になった時だけ歌う「神宮勝歌」という応援歌があります。昨年春全国優勝した時に選手と応援団が歌うのがテレビ中継されました。

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