明治大学校友会逗子葉山地域支部ホームページⅡ

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最新の活動日程

2024.4.13 更新

      ※赤字はこれからの予定

1. 定例役員会
 逗子銀
座商街ビル2階会議室(毎月第2土曜日 8月はお休み)           
    令和6年  4月13日(土)     12:00~14:00    (済)
    令和6年  5月11日(土)    12:00~14:00
    令和6年  6月  1日(土)    12:00~14:00                                                                            令和6年  7月13日(土)    12:00~14:00                                 

2. 第32回令和6年度逗子葉山地域支部定時総会
      令和6年6月8日(土)  受付13:00~13:30 @「逗子シーサイドイタリアン」                                                                14:15~15:15マンドリン演奏 

3. 今後の支部活動日程および過去活動歴
◆今後の活動日程 
・令和6年  3月24日(日)お花見会  於:桜山中央公園
  ➡桜の開花時期、天候その他の理由により中止となりました。

◆過去の活動歴                                ・令和5年8月1日(火) 会報第43号発行

・令和5年8月6日(日) ヨット乗船会  於:葉山港・明大ヨット部合宿所 7名参加
・令和5年9月9日(土) 納涼バーベキューの集い 於:綾部宅庭     14名参加
・令和5年11月18日~19日 第59回全国校友愛知大会 於:愛知県名古屋 (済)
・令和5年12月 3日(日)明早ラグビー観戦会 於:国立競技場       (済)     
・令和5年12月 9日(土)クリスマスカラオケ               9名参加   (済)
・令和5年12月17日~18日 一泊忘年会 山中湖、忍野八海他  4名参加  (済)
・令和5年12月23日(土)忘年麻雀大会 於:新宿会館           2卓 8名参加   (済)
・令和6年  1月  1日(月)駿台逗子・葉山会報第44号発行         (済)
・令和6年  1月  2日(火),3日(水)箱根駅伝応援 2日 5名 , 3日  3名参加     (済)
・令和6年  1月20日(土)2024年新年会   於:沼間 魚万  20名参加   (済)

 4.各クラブ活動                                                                                             
ゴルフクラブ  
根岸   於・葉山国際CC

  季ゴルフコンペ             令和5年11月9日(水)実施済
  春季ゴルフコンペ     令和6年  5月9日(木)   御殿場東名GC
■歩こう会 休部
 

■カラオケクラブ 小川  
         令和6年4月13日(土)
  実施済                                                           令和6年  5月11日(土)    15:00~
                                            令和6年  6月  1日(土)    15:00~                                                                                      令和6年  7月13日(土)    15:00~         
                 
■麻雀クラブ   中山          令和6年4月18日(木)                                       毎月最終火曜日又は木曜日 10:00~ 於:大船 五五五
■美術鑑賞クラブ   
休部               
                    
なまず
クラブ  鈴木(達)    令和6年2月4日(日)実施済

                                                      令和6年4月21日(日)予定
■スポーツ鑑賞クラブ 
休部

■釣りクラブ   鈴木(達)  
  年2回実施                                                 令和6年4月14日(日)  参加4名の予定
■映画鑑賞クラブ
 休部

5.  その他
 神奈川県東部支部役員会    令和6年5月12日(日) 17時~ 
               於:横浜崎陽軒本店6F
 

 

 

 

             

 

 

 

 

 

 

 

 

お花見会を4年振りに異常ともいえる状況下実施しました

年間行事のお花見会は、今年3月25日(土)10時からの開始を11時からに変更して桜山中央公園で開催予定にしていました。

 最近の天気予報は気象観測の精度向上でまず外れることがなくなっていますが、どういう訳かこのお花見会の1週間前頃から毎日の天気予報がコロコロ変わり当日の雨を心配させるようになりました。3年間続けてコロナで中止していたことと、「支部創立30周年記念お花見会」の位置づけにもしたかったので25日の好天を願うばかりでした。3月17日には小川さんから会場近くの道路の桜並木の開花情報も写真で送られてきていました。しかし28日(火)に延期いたしますとの連絡をせざるを得ないこととなりました。28日に実施となりましたがこれも異常ともいえる実施でした。

 

 

         明大校友会「お花見会」日程変更のお知らせ

逗子葉山地区会員各位 

 先に「お花見会」を4年振りに開催することになりましたのでご案内を致しました

が、予定の3月25日(土)の天候が小雨が強まるとの予報です。予報は2~3日

前や朝と晩で変わってきて23日15時現在は曇のようですが、降水確率40%で

気温も前日よりかなり下がると見込まれるため25日(土)を28日(火)に延期

することにしましたのでご連絡致します。 

 校友との一時の歓談を求めて散歩がてらお出かけ下さい。

 

 日時:令和5年3月28日(火)11:00~14:00

 場所:逗子市桜山 桜山中央公園

     JR逗子駅からイトーピア行バス 桜山公園バス停下車 

      *先の案内は土日ダイヤでしたが平日ダイヤにかわります。

    (JR逗子発:10:10,10:40、又は11:10,11:40)

 会費:無し 但し各自昼食と飲み物持参下さい。

 その他:

  1)ブルーシートの上に赤い毛氈を敷いたグループです。

        明治の小旗を2本ほど出しています。

        近くに公園内のトイレもあります。

  2)途中参加、途中退席、家族や知人同伴もOKです。

  3)参加申込不要ですが、参加の方で返信をいただければ幸いです。

 

     2023-3-23   逗子葉山地域支部 支部長 足立

 

*お花見会の内容は、参加者と参加を予定していた人への以下の報告の通りでした。 

     昨日のお花見会とカラオケご苦労様でした 

       メール:小川、根岸、鈴木達、山村、佐藤、鈴木悟

       FAX:豊田、綾部、高梨、日向、川崎、 

 昨日の延期したお花見会は開催できて大変良かったと思います。 

 参加予定者は足立、小川、根岸、鈴木達、山村、高梨、青海、石渡、日向、川崎、豊田佐藤哲夫、森夫人の13名で3月25日を28日に延期したため綾部、中山、秋元の3氏は不参加となっていました。鈴木悟、砂山の2氏は不参加から参加に変更の可能性も期待しましたが特に連絡は有りませんでした。 

 昨日は朝9時現在小雨が続いていて9:01高梨さん、9:02山村さん、9:11

青海さんから電話確認が入りました。山村さんは日向さんと参加予定だったとのことで

11時に雨が止むとは思えないとの意見でした。高梨さんは風邪気味とのことで、この

時点で状況から中止にして再延期は無しと返事をしましたので、山村さんと青海さんに

も同様の返事をしました。9:10小川さんに電話しましたが繋がらず、9:48佐藤

哲夫さんから風邪気味のため欠席のメールが入っていました。

 

 9:53小川さんから電話が入り桜山の天気予報では11時は雨が上がるのでともかく会場に行くしかないこと、カラオケ会場すなっく舞は急きょ店を開けてくれることになったので、お花見会後に行くことにしたとのことでした。3氏に中止と伝えたので青海さんに電話も繋がらず、山村さんには小川さんから電話をお願いした結果、山村、日向両氏はお花見会欠席もカラオケは参加となりました。

 

 ここ1週間の天気予報は毎日コロコロと変わり、前日も28日と29日は晴れの予想でしたが、前日夜からの雨が朝までつづいていたため参加予定者も当然中止と思って結局集まったのは場所取りの豊田さん、鈴木達さん、足立、根岸さん、小川さん、石渡さんの6名でした。11時にはほぼ止んでいましたが曇空でブルーシートと赤い毛氈は従来の場所から木の下へ、ついで石の長椅子のある場所の横と3回敷き直ししました。

 

 数日続いていた雨も小雨のためか地面はぬかるみにはなっていなかったので、雨上がりのお花見会を4年振りに開催し、見頃の山桜も愛でて中止にしなくて良かったの思いが深まりました。

 

 豊田さんには場所取りに加え缶ビール1箱分とシュウマイの差入れをいただき、各自持参の弁当、酒、ワインとつまみを回しながらマスク無しの屋外歓談宴会が戻ってきました。足立持参の携帯おかん器で石渡さん持参のワインをホットワインにして豊田さん以外の皆で飲みました。その後シューマイも紙コップに入れて温めましたが、紙は失敗で熱伝導率が低くあまり熱くなりませんでした。

  ガスボンベから携帯おかん器に変えました

 

 4年前のイノシシ年はイノシシ桜(ボタン桜)とイノシシ酒(ボタン酒)記載の配布物があって説明もしましたが、さすがにウサギ桜とウサギ酒のうんちく話は無しでした。兎酒はトシュと読むので陶淵明の「歓を得ては当に楽しみを作すべし 斗酒比隣を聚む」の詩を豊田さんに話しています。(嬉しい時は大いに楽しみ騒ごう。酒をたっぷり用

意して、近所の仲間と飲みまくろうの意)2年前に亡くなった西山さんが健在であれば

詩吟も出たと思うと残念な気がしました。出典は後日に豊田さん宛FAXとしました。

 

 お花見会なので盛りを過ぎたソメイヨシノ話も出ました。サクラの苗を頒布している「公益財団法人日本花の会」は病気に弱いなどの問題を抱えているソメイヨシノの苗木の販売を平成21年(2009)から取り止めていて現行のソメイヨシノに代えて神代曙(花色が淡紅色でやや濃くなる)を植樹するよう奨めているそうです。 

   ソメイヨシノ

 神代曙

 

 葉と花が一緒の山桜の大木が丁度見頃でした。初め大島桜と説明もありましたが、山桜に訂正でした。

 山桜

 大島桜

 

 13時近くに花見のグループも2~3組顔を出し、若手グループのお嬢さんに皆の写真を撮ってもらい開催の証拠としました。お礼に携帯おかん器を1個差し上げました。

 

 終って足立、小川、鈴木達、石渡4名はカラオケ会場に行き、間もなくして山村、日向の両氏が合流、17時過ぎまで暫くぶり石渡、日向両大先輩を交えて沢山歌を入れて聞き入り歓談をしました。お花見会の後なので最初「花」の歌詩が出てくる歌を唄おうということになって鈴木達也さんの「花の首飾り」でスタートし「熱き心に」「津軽平野」「四季の歌」「さざんかの宿」「くちなしの花」等出たと思いますが、あと思いつかずフリーの歌に変えました。白石さんが参加していれば「夜桜お七」が聞かれたと思います。 

 

 このメールは記憶力が落ちているので忘れないための備忘録で送っています。

                 2023ー3ー29   足立

 

豊田様

     陶潜(陶淵明)雑詩 

人生無根蒂 飄如陌上塵 分散逐風轉 此已非常身 落地爲兄弟 何必骨肉親 

得歡當作樂 斗酒聚比鄰 盛年不重來 一日難再晨 及時當勉勵 歳月不待人

 

人生《じんせい》根蒂《こんてい》無し 

飄《ひょう》として陌上《はくじょう》の塵《ちり》の如《ごと》し
分散《ぶんさん》して風を逐《お》いて転《てん》ず
此《こ》れ已《すで》に常《つね》の身に非《あら》ず
地に落ちて兄弟《けいてい》と為《な》るは

何ぞ必ずしも骨肉《こつにく》の親《しん》のみならん
歓《よろこび》を得《え》ては当《まさ》に楽しみを作《な》すべし
斗酒《としゅ》 比隣《ひりん》を聚《あつ》む
盛年《せいねん》 重ねて来たらず

一日《いちじつ》 再び晨《あした》なり難《がた》し
時に及んで当《まさ》に勉励《べんれい》すべし 歳月《さいげつ》人を待たず 

 

*** この報告で豊田さんからFAXで下記のような過分と思える意義ある返信がありました。蘊蓄披露はそろそろ止めようかなと思っていた矢先で受け止めていただいていることに感謝を込めて紹介しておきます。

 

 花見会の時 紹介された中国の詩人 陶淵明の雑詩 良い詩でしたね。私蔵本にありました。

 一冊は岩波 中国詩人選集4  陶淵明(名は陶潜 字は淵明或は字は元亮とも)

 一冊は筑摩 中華飲酒詩選32 50名弱の詩人中一番で350頁の中の30余頁

 雑詩とは一種の無題詩 十二詩中の「その一」が紹介の詩でした。

 人生無根蒂(人生根蒂無し) 蒂・・・木や野菜の実を幹につないでいる物

 

以下 ・・・歳月不待人まで、本では詳しく読み方を解説してありましたから私にも読めましたが、その上で足立さんの読みをなぞると もっとこの詩の良さが判る様に感じました。良い詩です。足立さんの読みの方が 読む人がもう少し膨らませて読めますね、だから基本の意味・解説を変えることなく多様な理解が出来ると思います。

 五言絶句や五言律詩にとらわれていません。あえて言えば絶句に律詩を加えて十二詩(十や十六詩もある)

いつも(お花見会で)蘊蓄を聞いているのですが、「よく種(資料)をみつける」ということで感じいっております。私は高校の教員の仕事の1/3は読書だと思っています。(残り1/3が授業更に1/3が部活動指導と生徒指導)。生徒の知的好奇心を刺激し、それに応えて膨らませていくために専門教育・科目だけでなく別の分野の読書も欠かせません。高校の教員の多くが読書に勢力をかけている訳ではなく、私を含めてダイジェストなレベルにとどまっている者の方が多いのが現状のような気がしますが、それだけに教員でない方の蘊蓄というよりもそれを越えたレベルアーツ(知的教養)の深さに憧憬を感じます。会報でそれをどの程度、紹介できるかは判りませんが逗子葉山地域支部の花見が陶淵明の言う飲酒・会食の楽しさに加えて、参加者の力によって知的交流に場になっていることを紹介できるといいなと思っています。花見は人数も予定を下回り、好状況の中での実施にはなりませんでしたが、内容的には成功と評価できるものだったと思います。有難うございました。(豊田)

                                              

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明大校歌を合唱出来ない新年会でしたが3年振りに開催しました

 1月21日(土)12時より逗子市沼間にある日本料理の老舗「魚万」の2階和室(椅子席)で令和5年逗子葉山地域支部新年会を3年振りに開催しました。「魚万」は14代続く魚屋で2階の落ち着いた雰囲気のお座敷で自慢の日本料理を堪能しました。

 畳部屋での新年会は平成8年の葉山新田なか、平成12年の葉山町福祉文化会館2階和室、平成13年葉山日影茶屋、平成27年逗子魚勝がありましたが全て畳に座っての新年会でした。昨今他と同様 魚万は畳部屋を椅子席にして高齢者に配慮していました。

 令和2年1月の新年会後から新型コロナ感染拡大が続き令和3年は当然中止、令和4年は役員各位の開催願望が強く1月開催は無理でも2月に延期して様子をみようとのことで会報1月号にも新年会の記事を掲載、1月に案内を出す手順で進めていましたがやはり開催はできませんでした。今年令和5年の新年会は昨年会報第42号(1月号)原稿締切時点では感染も減少傾向がみられ1月開催として会報にも掲載し会員には会報と共に新年会開催のご案内を会費6,000円として年末には届くようにお送りしました。

 まず新年会当日の報告の前に、この新年会の特色を3つ先に述べておきます。

・コロナ感染対策を重視した例年恒例の楽しいイベントをすべて中止した静かな飲食
 と対面の小声での懇親でした。移動も極力控えました。

・新年会の会費は無料としました。

・新年会に出席された方で出席して良かったと思われた方から、このコロナ禍の3年
 間、会報発行や少ないながら行事開催に向けて手弁当で尽力した若手役員慰労
 として持参された会費の一部を匿名で(寄付箱に)寄付いただきました。

*会費を無料にした諸理由につき説明しておきます。

①1月役員会時点ではコロナ感染拡大傾向で出席いただいた会員の方が期待した新年
 会ができない。

②当支部はコロナ感染以降、予定した例年の行事が開催出来なかったため、令和2年   度と令和4年度につきましては支部長の提案に役員・監査委員が賛同し 年会費  3,000円を免除してきました。会員の方には2年分年会費6,000円免除し          ています。

③令和4年度も総会中止や他支部・他大学の総会中止や案内がなく祝儀等や他の経費
 支出が少なかったことと期末資金残を考慮。

④コロナ禍で大学に学生支援金として既に50,000円寄付しているため資金を
 会員に向けたい。

⑤新年会が一般会員に呼びかけた当年度の最後の行事でもあり、この新年会が支部
 創立30周年記念でもあること。

等を考慮した結果1月役員会で決めましたが最終決定ではなく、重要な会計事項ですのでお二人の監査委員にもご意見を伺いご賛同いただきました。

(会場下見で思う)

 感染下降ぎみとはいえ3年振り開催のため支部長として事前に会場を下見しました。魚万はかなり前に沼間にある逗子商工会館2階で総会を開催した際に料理をお願いしたことがあり、今でも野菜の煮物が美味しかった記憶が残っています。マンドリンコンサートでもプログラムによく広告をいただいていますので下見の際はこのお礼も再度しています。

  上の写真一番右側の入口から入ると横幅のある手摺りの着いた階段がすぐ目に入り、高齢で足のやや不安な方でも安心かなと思いました。2階廊下の脇に手洗いと衣紋掛けも十分にあり、和室が4部屋ありました。天井には空調も多く設置してあり、柱の構造からもともとは2部屋だったのを4部屋とし少人数の対応にも使えるようにしたようです。

 下見の際は襖もまだしたままで板廊下から畳廊下の先には「無量寿」の書が掛けてありました。(当日は別の額でした)。昔書道クラブで日向さんを含む書道クラブで葉山新善光寺で心経を書いて納書会を行った際に無量寿経四誓偈を書いて合わせて納めたことが思い出されました。また経の文句の「願」から昨年12月亡くなったという知らせを受けたばかりの四十八願稔元鎌倉支部長や当支部会員で新年会のご案内を差し上げた中井克明前横浜支部長の正月の急逝も思い出されて、支部創立30周年新年会を迎え当支部の昔を知る人が少なくなったのを残念に思いました。

 部屋の中に掛けてあった漢字一文字の額(上)は元書道クラブ員としても読めませんでしたがあえてお聞きしませんでした。

 

(当日の報告)

 会場入口の前に大きな鉢に入った植木がありましたのでお店の方に断って明治の小旗を根岸さんと括りつけておきました。また会場の部屋は下見で鴨居があることが判りましたので、小道具を用意して「明治大学校友会逗子葉山地域支部 新年会」の縦長垂れ幕を掛け、明治の小旗も適当に秋元さんが飾ってくれました。参加者は22名で来た順に空いた席に着いていますが、良くしたものでいつものメンバーのかたまりになっていました。12時開会予定でしたが遅れた方もおられたので少しずらしました。

 小川幹事長の司会挨拶で出席者にお礼と、本日の新年会の進め方や会費無料の説明もありました。ビールが席に出される間に支部長挨拶となりました。

              支部長 足立

 特に余興も無いので時間をもらいたかったのですが長い挨拶は良くないのは重々承知も8分も過ぎてしまい切り上げのサインが出て一部支部長書面挨拶にしました。その後最高齢で卒寿を迎えられた桐島さんの乾杯挨拶で全員立ってコップを隣同士合わせながら再会を祝しました。あとは個々のテーブルでの懇親となりました。

    中締め挨拶の秋元さん             司会の小川幹事長

 

 支部創立発起人の故森英二夫人の勝美さん   初参加の青海さん  綾部さん

 

          受付の根岸さん    日向さん

 

       初参加の佐藤さん          久しぶりの関本さん

 

            砂山さん         田澤さん

 

     乾杯挨拶の桐島さん        長唄披露の齊藤さん

 

                            大川さん

 

         中山さん             川﨑さん

 

 司会から指名があって挨拶もありました。支部創立30周年でもあり支部創立発起人の故森英二氏の奥様で準会員でもある森勝美さんからもその旨のご挨拶をいただきました。暫くぶりの関本さんからもご挨拶いただき、私はこれまで関本さんと懇親の機会をのがしていたので隣の席が空くのを待って行きお話できました。

 なお会則の変更で慶事表彰が無くなったあとも西山さんが生前明大グッズを用意し過去2回ほど新年会で敬老祝賀をおこないましたが2年間新年会も出来ず、また1度は対象で祝った方も多く、若手役員からは来年以降も無しで良いとのことで新年会時の敬老祝賀は時間短縮の意味や誕生日登録が好ましくないため廃止しました。

 やはり集まった会員が立って肩を組み明大校歌を合唱し昔を思い出すことが元気の源なのでこれが出来ない新年会は味気ない感じがしますが、司会から指名されて一番壁際に座っていた斎藤さんがコロナに配慮して声をやや抑えて長唄を披露いただいたので新年会の雰囲気を感じることが出来ました。終わりに一番若い秋元幹事が中締めの挨拶をして全員立って関東一本締めで手を1回叩き閉会となりました。その後参加者全員で集合写真を撮っています。

            

         石渡さん(椅子)

  写真を撮っていただいた高橋さん(前列)

    ↑                              

 受付の鈴木達也さん    山村さん 鈴木立見さん(後列)

 

 帰りに支部長の挨拶にあった出席して良かったと思った多くの方からコロナのこの3年間の若手役員への慰労として寄付金をいただきましたことに対し厚くお礼申し上げます。写真を見る限り高齢者の方が多く明日の支部を心配されている様子が感じられた新年会でもありました。

 鈴木悟会報編集委員長が法事で出席できなかったのは残念でしたが、長らく行事の写真係だった西山さんのあと写真は鈴木悟さんが撮ってくれていましたが、今回は高橋先輩にお願いしました。集合写真だけではやはり行事の思い出も蘇らないので多くの写真を撮っていただいた高橋さんには大感謝です。受理した写真は全て掲載しました。

1)高橋様から写真送付にあたりコメントもありましたのでご本人にも伝えご紹介
  しておきます。

 新年会お疲れさまでした。久しぶりの開催でしたが、矢張り人間はお互いに顔を合わせて語り合うことが最大の健康法と感じました。有難うございました。この間病気になられた方、亡くなられた方、少々認知症?気味の方等環境が変わっていることに我々の年齢が急速に進んでいることを感じます。健康寿命を延ばすヒントは多々ありますが、好奇心を持つ事、物忘れを時間を掛けても思い出す事、仲間と話し合うことと言います。今回の新年会に参加して皆さんが楽しそうに貪欲に語り合っている光景をみて感じました。

2)新年会と合わせて会報第42号送付後に、体調上行事参加が難しい豊田会員
 (S38 政経卒)から読後感が寄せられています。新年会で披露も難しいのでこの
 ブログで紹介させて頂きます。 

 氏家、三武両氏の訃報を知り、総会や新年会で私が校歌斉唱とエール交歓を行う時によく励まして頂きました。両氏のご冥福を祈ります。会報第42号をザーット拝読、とても面白く拝読した記事は ①秋元正己さん「会員寄稿」 ②川崎さんの「箱根駅伝」③小川さんの「ラグビー明早戦 9年ぶりの国立対決制す」と「東京6大学野球祝春秋連覇と日本一」その他 支部発展期前半10年の活動歴の抜粋 多方面にわたって充実していることを示している。改めて凄い活動力だなと感じました。これだけの活動を行うには歴代支部長・幹事長が事実上の専従でなければ出来ないことと私は思います。ありがとうございます。

 

 新年会終了後に若手役員と一部の参加者で逗子駅前に戻りカラオケボックスで恒例の慰労会を行いました。3月のお花見会行事は残っていますが、新年度に向け検討事項も多く今後役員一同意思合わせをして進めていきます。

                 (文:支部長 足立、 写真:高橋)

 

 

                                      

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旧陸軍登戸研究所を思う明大生田キャンパス訪問

 12月11日(日)校友会神奈川県東部支部役員会が明大生田キャンパスで開催され13年振りに訪問しました。私は商学部に入学したため1~2年時は和泉校舎で、3~4年時で駿河台校舎で学びまだキャンパスという呼び名は使われていませんでした。したがって生田校舎に行く機会もなく卒業後も八重桜で有名な生田校舎を訪ねたいと思いつつそのままになっていました。

 しかし逗子葉山の地に校友会支部が出来て9年目の平成13年(2001年)12月2日(日)24名参加したサロンバスでの明早ラグビー観戦会の際に国立競技場に行く前に生田校舎に立ち寄りました。支部会員の農学部出身の石渡俊雄さん(S33年卒)の案内で実験用に使った動物の慰霊碑、植村直己の記念碑や旧陸軍登戸研究所跡地に残る古い木造建物を見たことが印象に残っていました。

                               26号棟〈第3科倉庫)前

              5号棟(偽札印刷工場)前

 

 実はこの旧陸軍登戸研究所を戦争遺跡として保存しようとする活動がその後始まり、平成21年(2009年)7月2日に稲田郷土史研究会会員で「旧陸軍登戸研究所の保存を求める川崎市民の会」の森田忠正さんと今野淳子さんが逗子市池子に住む高木さと子さんを訪問されました。高木さんとは祖父の岡田朝太郎(東京帝国大学法科教授で広田弘毅吉田茂両元総理の恩師で明大専任教員も務めた)の顕彰碑建立の際に知り合った縁で、訪問前に連絡があり立ち会っていました。

 森田さんが事務局を務めるこの会は、大図建吾(県立高校の先生)、姫田光義中央大学名誉教授)、矢澤康祐(専修大学教授)、渡辺賢二(明治大学教授)の4人を代表世話人とする会とのことで保存の動きが川崎市民から起こったことを感じました。この会の会報創刊号を見ると2006年10月結成となっていますので3年後に訪問となったわけです。創刊号は2012年3月発行で会の名前も「登戸研究所保存の会」に改称されていました。 旧日本陸軍が秘密戦のために研究していたため防諜(スパイ活動防止)、諜報(スパイ活動)、謀略(破壊・撹乱活動・暗殺)、宣伝(人心の誘導)のための多くの研究内容・開発された兵器資材など国際法規上大きな問題になるものがあり終戦宣言の翌日に陸軍省軍事課からの秘密通達ですべて残らず処分がすることになり、多くのこの事業に携わった人たちも戦後口を閉ざしていました。時代は移り戦後60年を経過し昔を知る人が少なくなった今、保存活動をしなければ永遠に闇に葬られてしまうとの危機感から郷土史家を中心として川崎市民が立ち上がり関係者の口から話が出てくるようになったようでした。

 人は伝手でたどり寄せるの言葉通り高木さんと一緒に登戸で働いていた方からの情報で訪問されたとのことでした。森田さんは父親が校舎内で働いていてここで生まれ育ったとのことで高木さんへの聞き取りにも熱が入っていました。

 私も初めて高木さんから話を聞きました。

 高木さと子(旧姓岡田)さんは新宿にあった元府立第5高等学院(現在中野にある富士高等学校)の女学生の身分で登戸研究所の第1科草場少将の配下で秘書兼技術者として昭和20年2月中旬から昭和20年5月に研究所所属部署の長野県疎開まで働いていたそうです。同年3月高校卒業も卒業式には出られなかったと言っていました。直接は殺人光線を研究する笹田技師配下で私服で勤務、驚いたことに他の科も出入り自由で写真も撮っていたと証言されました。前年昭和19年秋に海軍技術研究所(国分寺)で東京物理学校電波講習生(見習士官)と共に3か月程受講し卒業。陸軍登戸研究所へ派遣命令があったとのことで、これはどうも祖父岡田朝太郎の声掛けがあったのではとも話されていました。長野県北安曇郡会染村(現在松川村)に疎開した際は農家に寄宿、終戦後は草場少将の計らいで当時長野県池田町に疎開していた東京工業大学森田研究所の事務員に転籍されたとの話も出ていました。同年12月には実家に戻り翌年恵泉女学園大学へ入学卒業されたそうです。

 森田さんが訪問した後、資料が高木さんに送られてきて私にコピーもいただき、平成22年(2010年)3月29日に明治大学平和教育登戸研究所資料館が開館して以降も資料館からの問い合わせ窓口が昭和3年生まれで高齢の高木さんの代りに私になっていましたので、その縁で直接資料館から各種案内や資料が送られてくるようになり現在も続いています。2022年3月には資料館の開館10周年記念誌「10年のあゆみ」も送っていただきました。

 この中に開催した企画展がまとめて掲載されていて、すべてご案内をいただいた記憶にあるものでした。

第1回 戦争遺跡写真展 登戸研究所から戦争遺跡を見るー川崎を中心にー

第2回 風船爆弾の風景2011 ―風船爆弾の「現場」から今をみつめるー

第3回 キャンパスにあった偽札印刷工場―5号棟調査報告―

第4回 本土決戦と秘密戦―その時登戸研究所は何をしていたかー

第5回 紙と戦争―登戸研究所風船爆弾・偽札―

第6回 NOBORITO 1945―登戸研究所70年前の真実

第7回 「登戸」再発見―建物と地域から追う研究所の姿―

第8回 科学技術と民間人の戦争動員―陸軍登戸実験場開設80年―

第9回 帝銀事件登戸研究所―捜査手記から明らかになる旧日本陸軍の毒物研究―

第⒑回 少女が残した登戸研究所の記録―陸軍登戸出張所開設80年―

 

 資料館 から問い合わせに下記のものがありました。2015年2月のことですが旧登戸研究所本館に残されている絵画について調査を続けていますが戦時中より本館(将校クラブ)に飾られていたとも言われていますが、当時所内で見たことがあると証言された方がおられないため、高木さんがご存知の可能性がある情報を得ましたので高木さんにお尋ねいただくことはできませんでしょうかとの内容でした。発信は資料館の椎名真帆さんで、あとで判ったことですが椎名さんはなんと都立富士高校卒で高木さんの学校の後輩で、明大1993年卒で私の後輩でもありました。

 高木さんは体調を崩されていましたが、送られてきた絵画(佐藤耕寛画・漁待つ人々・173㎝×227㎝)と用件をお知らせしたところ、下記返事がありました。

 絵画は将校食堂に飾られていました。将校食堂は自分がいた第4科の建物の通りを挟んだ正面にあった本館にありました。配属が第1科第2班別班(班長岡本正彦少佐)だったため岡田班長に誘われて幾度か食堂で食事をして、大きな漁師の奥さん達の絵が陸軍の科学研究所に相応しくないと思って絵画について聞いたけれども誰もいわれを知っていませんでした。本館の玄関前にも30㎝程の絵画もありました。この返事を椎名真帆さんにする際に高木さと子さんが会員だった「葉山近現代史を語る会」の田嶋修三さんと野中康司さんが高木さと子さんより聞取りされた資料もお送りしました。なお岡本正彦少佐は長野の疎開先から横浜に出て横浜市医専〈現在の横浜市立大学医学部〉を卒業し医者となった後に某電機メーカーに入社し電波技術専門家として研究勤務も71歳の若さで亡くなったとのことです。登戸での研究者は戦後専門技術者として企業に入社し後輩の指導にあたったようですが過去の思いも有って短命で没した人もおられたように思います。

 2015年の第6回企画展の案内チラシに「漁を待つ人々」の写真が載っていて将校食堂に飾られていたと記されてありました。

 

 今年見た生田キャンパス内の旧登戸研究所跡地には木造建物はなく、わずかに13年前に見たコンクリート造りの弾薬庫がそのままありました。

 追記:

 高木さと子さんの祖父岡田朝太郎氏は西洋の偽札の収集家だったとも高木さんから聞いています。「陸軍登戸研究所」―隠蔽謀略秘密兵器開発―『第3節 贋幣作戦の展開』 青木書店 海野福寿・山田朗・渡辺賢二共著、や「陸軍登戸研究所の真実」『第七章 対支経済謀略としての偽札工作』芙蓉書房出版 伴茂雄著、「消された秘密戦研究所」『第一節日中全面戦争と通貨戦争』信濃毎日新聞社 木下健蔵著、等の部分コピーを高木さんからいただいていました。また新聞記事等も私なりに切り取ってあったり、文学部海野福寿教授の「陸軍登戸研究所跡地(生田キャンパス)を戦争遺跡として保存しよう」や理工学部浜口稔教授の「生田キャンパス風物詩」、などもコピーで残されています。

 

 今回のブログ投稿は、高齢となり手元資料が処分される運命にあるため、やはり何か残しておいた方が良いのではと思って投稿しました。今年の漢字一文字投票の一番が「戦」であったので投稿したわけではありませんが、東部支部役員会の場を生田キャンパスに選んだ理由は確認していません。

 興味ある方は申出下さい。資料をお貸し致します。  (足立)

 

 

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明治大学マンドリン倶楽部創部100周年記念祝賀会で共に祝う

明治大学マンドリン倶楽部創部100周年記念祝賀会で共に祝う 今年9月に明治大学マンドリン倶楽部より当支部長宛で創部100周年記念第191回定期演奏会日本青年館ホール)と11月6日の祝賀会(幕張)のご案内をいただきました。当支部は今年創部30周年を迎え、この30年間で13回マンドリン倶楽部のチャリティーコンサートを開催してきました。今日支部が存続しているのは卒業生のコンサートを通じ親睦目的だけでなく地元に奉仕の目的も持つと共に、寄付の一方、収益から後日の活動資金を残してきたからに他ならないと思います。毎回コンサートの終わったあとに次は何時かと問われることが多く、地元の文化事業としても貢献してきていると思っています。開催にあたっては多くの会員の協力は元よりですが、マンドリン倶楽部あってのため創部100周年は「おめでとうございます」と伝えて共に祝いたいと思います。9月役員会及び10月役員会でも話に出し、支部長の私が代表して祝賀会に参加することにしました。

    
 

 

 

 以降は「祝賀会の報告」と「祝賀会で地元とマンクラの縁で思い出したこと」です。

 会場内の写真がありませんので提供いただけたら提供者名も添え掲載いたします。

       *写真添付メール先   yasuhide-adachi-tkb@nifty.com

 

 会場の幕張新都心ホテルグリーンタワー幕張」は3年前に全国校友千葉大会で訪れた幕張メッセ国際会議場の手前にありました。やはり参加するにあたり、OBで当支部役員だったS48年商卒の稲村茂さんや逗子葉山地区のコンサートに出演した逗子開成高校出身のH3年政経卒の位田岳彦君に会えればとOB受付の参加者リストで確認してもらいましたがリストになく残念な思いをしました。

 位田君は支部が出来て以降地元高校から明大に入りマンクラ部員として2年の時に母校逗子開成学園での第5回コンサートで第1マンドリンを担当、4年の時は葉山町福祉文化会館での第6回コンサートで指揮者を務めていました。会えれば持参した2000年記念と銘打ったこの第6回のプログラムを見ながら歓談しようと思っていました。

     

   

              葉山森戸神社先の海にある裕次郎灯台(傍に小さい三枝灯台もある)

 

 またこのプログラムに「マンドリンの調べと百里香(バイリシャン)」の記事があり、この中に平成4年マンクラの第一回中国演奏旅行に同行した常任指揮者の甲斐靖文さんが作曲した「百里香」という曲について触れていて、またこの曲を二期会歌手萩原加緒里さんが前年の全国校友東京大会で歌っていたことも記していました。萩原加緒里さんの1999年サイン入りCDも手元に残っていて懐かしく思い出し、100周年記念祝賀会で甲斐さんに会って話す機会が取れればこの話をしようと思っていました。

  

 平成4年は当支部創立の年でもあり、支部創立30周年に相応しいブログ投稿になるかなと勝手に思ったりしました。なんと当日受付で受け取った当日の式次第にアトラクションで4組(3人と1組)の歌手の1人に萩原かおりさんが載っていて驚きました。この件の結果はアトラクションの前に甲斐さんに会い該当ページにサインをもらい、その後別のテーブルだった萩原かおりさんにも会って話をしてサインをもらっています。萩原さんは昭和音楽大学の教授になられて今年7年目たそうです。23年前の萩原加緒里さんは名前を平仮名に変えられていました。

 

 順不同になりますが、式の始まる前に映像でマンクラ100年の歩みの紹介がありました。昭和18年5月戦争でマンクラが解散していたことを知りました。

 

 会場では壁際の椅子の左一つ置いて横須賀地域支部の小池克彦支部長がおられ最初マスク着用で判らなかったのですが乾杯の際に気付いて話をしました。横須賀地域支部は毎年のように横須賀芸術劇場でマンクラコンサートを開催しゲストも早々に決めています。この11月に横浜地域支部の後にコンサートを予定していて招待券をいただいていました。100周年記念祝賀会は当然の参加だったと思います。   

 

 当支部草創期の頃、逗子葉山での開催にとって、横須賀や厚木や茅ケ崎での開催はともに良いお手本でしたが如何せん大きな会場の無い逗子葉山では独自の開催(昼夜2回公演、費用捻出のためチャリティーとしてプログラムに広告掲載)をしてきました。学生さんたちのバス代と楽器運送代は負担ですが、地方と違って宿泊費負担がないので小規模の支部のわりに多く開催できてきたと思っています。今は大学の方針で学生に配慮して無くなりましたが昼夜2回公演(逗子開成を除き平成22年開催まで)の際は学生さんたちに本当に感謝の言葉しかありません。

 壁際の椅子の右隣にさいたま市から来られた平谷 一(たいらはじめ)さんがおられ、明治大学グリークラブOB会の方でマンクラ連携担当でもあり甲斐さんとは比較的良く会うと話されていましたが、私が逗子葉山地域支部と伝えると白石四郎ゼミだったという話になりました。八戸生れの幸子奥様は今も葉山に住み元気と伝えましたが、平谷さんからゼミで渡邊竹夫会員の1年後輩で娘で二期会の渡邊仁美さんのオペラ公演の案内ももらっていると言っていました。逗子に明大グリークラブを呼んだこともあると話しています。これは立大、早大、明大の東京3大学グリークラブによる東日本大震災義援チャリティーコンサートでした。コロナ禍で対面での会話がなくなると、こういう出合いも失われていることを痛感しました。

 

 祝賀式の挨拶等は映像化した式次第に譲りますが、アトラクションでは甲斐さんの指揮・20名程のマンクラ演奏で最初に萩原かおりさんが「百里香」を二期会歌手らしく伸びや透明感のある高い声で歌いました。私には今年が日中国交正常化50周年であることがを思い浮かびました。周恩来が学んだ明治大学は他大学より中国との友好を強く訴えている大学と思っています。校友会名誉会長でもある村山富市元総理が日中友好のため今なお機会あるごとに関係正常化を訴えている報道にも接します。

 二番目は芹洋子さんが「四季の歌」で友達、父親、恋人、母親を力強く歌っていました。三番目がトアエ・モアさんのお二人で50年程前の札幌オリンピックの際の「虹と雪のバラード」を歌い、締めでアントニオ古賀さんが歌いました。題名は判りませんので後日判明したらこのブログに掲載したいと思いますがアントニオ古賀さんの歌と甲斐さんとの茶目っ気たっぷりのやり取りが印象的でした。

 なおマンクラと縁の深い故人となられたペギー葉山さんのことも思い出しました。

創部80周年記念祝賀会の際に当支部現相談役の日向 強さんが参加して一緒に撮った写真が残されていて、翌年2003年と2007年に逗子のコンサートにゲストで出演いただきました。

      (  逗子開成学園でのマンドリンコンサートにゲストで歌っていただきました)
    コンサートのゲスト折衝係りの砂山 昇さんと・2003年9月28日

 

 コロナ禍で暫く声出しが自粛がちでしたが今回は4人の応援団OBの協力で校歌をマスクしたまま声高らかに4番まで斉唱しエールで締めています。

 式次第が全て終了して会場を出る際には、入った時に迎えていただいた甲斐さん初めOBの方々がまた並んで見送りいただきました。甲斐さんにはサインのお礼を伝え、現役部員さんたちも並んでいたので前回3年前に逗子のコンサートに来た4年の第100代主将田邊雄大君にも挨拶してホテルを後にしました。腰痛もあり折り畳みの杖を持参しましたが参加して良かったと思いました。

 

 逗子には古賀政男さんの後輩でマンクラを指導されていた作曲家の故竹岡信幸さんの“みさを”奥様が住んでおられ一度訪問して壁に貼ってあった「赤城の子守歌」のポスターや「支那の夜」のレコードの原盤を見せていただきました。以前古賀政男音楽博物館を見学した際に竹岡信幸さんの顕彰盾も見ました。

     

 部屋にあった写真から奥様は旧姓“横田みさを”さんでマンクラ創部10周年にあたる1932年のロサンゼルスオリンピックの水泳選手(背泳ぎ日本記録)で宝塚を経て映画女優に転身の経歴の持ち主でした。

 

 またマンクラでコンサートマスターをつとめたS35年文卒の長沢和彦さんがおられた。若くして亡くなられましたが訃報を知ったのは私が長期出張していた台湾で休日に台湾北部にある金山のテレサテンの墓参りをして桃園の宿泊先に戻った晩の日本からの電話でした。同地でテレサテンの「時の流れに身をまかせ」を出向中のS君とカラオケで歌ったことも思い出し、今でもテレサテンの曲を聞くと長沢さんを連想します。

 

 

 今年6月29日(日)明治大学アカデミーホールで、東京都父母会連絡協議会による明大マンクラの「マンドリン鑑賞会」が開催されましたがアンコールのラストを飾ったのはテレサテンの「時の流れに身をまかせ」だったそうです。トランペットの演奏が、バラード調の演奏に厚みを増し“愛する人に温かく包まれ安堵する女心”を奏でているようでしたとのことです。東京都北部地区の皆さん、アンコールの選曲に感謝です。 

 無事「マンドリン鑑賞会」を終え安堵する役員一同(東京都北部地区ブログより)

 

 長沢夫妻は横須賀米ヶ浜に「ウタック弦」という店をもっておられ2度程行って歌ったことを思い出します。奥様は準会員として長く当支部活動に参加されご主人のマンクラの友人だった佐伯亮さんの話などされることもありました。今年6月4日(土)日本青年館ホールで開催された創部100周年記念演奏会(第190回定期演奏会)は案内が届き娘さんに付き添われて行きゲストの菅原洋一さんの歌も聞いてきましたと連絡がありました。

 故人になられたOBの奥様にも案内がいくとは! トアエ・モアの歌の文句を思い出して明治大学マンドリン倶楽部が100周年の後に“生まれ変わる”ために部員やOBが一丸とって努力して新しい倶楽部にしようとする思いを感じます。

 

 なお先に触れた創部80周年記念祝賀式(9月17日)の15日前の2002年9月2日は、当支部の創立10周年記念総会を葉山国際村国際会議場で開催した日でした。

 この、会議場の前の広いホワイエで懇親会を行いましたがマンクラOBの赤岩大輔君率いるメンバーにマンドリン演奏をしていただきました。以後幾度となく懇親会の時にお世話になり、100周年にあたり改めて厚くお礼申し上げるとともに写真を添えさせていただきます。

 

 逗子葉山のコンサートで今でも頭に残る演奏があります。あれは当支部創立10周年記念として平成14年4月27日葉山で開催したコンサートでした。- - - 18名の学生のうち女子が5名でしたが、その中の山中玲子さん(農学部4年)のギターソロが奏でる「影を慕いて」は古賀政男の身上とした優しさが伝わって来て心打つものがありました- - -と当時の記録に残されています。

                  

    また要望して地元開成学園ゆかりの「真白き富士の嶺」や当校友会役員2名の作詞作曲による「KAZEに吹かれて」を譜面を事前に渡し全員で演奏していただいたことも頭に印象深く残っています。(ホームページ会報バックナンバー第10号参照)

 

       素晴らしい「明治大学マンドリン倶楽部創部100周年記念祝賀会」

                              有難うございました。

          明治大学マンドリン倶楽部に乾杯!! 

                    古賀政男の「何でも弾いてやろう」の精神に乾杯!!

               

          2022年11月   支部長 足立泰秀(記)