明治大学校友会逗子葉山地域支部ホームページⅡ

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12月2週の土日に箱根で一泊忘年会を行いました

 8月のバーベキューの際に今年の一泊忘年会は、火山活動で客足が細っている箱根の宿を幾分でも支援する目的で箱根と決めました。森常勤顧問から町長時代の縁で明大卒の山口昇士(のぶお)箱根町長に宿の選定をお願いしてもらい12月12日(土)~13日(日)「箱根湯の花プリンスホテル」で開催することになりました。ここは今年5月に“箱根湯の花温泉ホテル”から名称を変更したとのことです。

 JR逗子駅に14人が12時20分に集合。小田原駅に着いたのは13時30分でした。西口北条早雲銅像前に川崎在住の田澤さんが待っていました。北条早雲は戦国時代に関東を治めていた上杉氏の家老長尾為景(謙信の父)が反乱を起こした際に、為景に味方して伊豆から逗子市小坪の山頂にあった住吉城に入っていたという歴史があり、逗子ともつながりがある武将のため銅像をじっくり見ました。

 ここでホテルの送迎バスに乗って50分ほどでホテル着。遅れて来る予定の佐藤さんは湯本からの路線バスで東芦の湯下車、ホテルから迎えの車で間もなく到着しました。暫くして自家用車組で川﨑、根岸の両名が到着。宴会は18時からでしたが、三武さんが自家用でホテルに着いたのは直前でした。風邪と足の火傷で急に2名の方が不参加になったのは本人にとっても残念な思いをされたと思います。従って参加者は21名予定が19名となりました。

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 このホテルは箱根で一番高い所(935m)にある温泉で湯の花高原にひっそり佇む一軒宿で箱根湯の花ゴルフ場を隣接し窓の外にプレイをする人が見えました。到着後、浴衣に着替え温泉に浸かり、乳白色にごり湯の露天風呂にも入り宴会まで2階の各自の4人部屋で歓談していました。

 宴会冒頭では山口町長もお忙しいところ顔を出され、支部長の挨拶の後にご挨拶を頂きました。6月に大涌谷周辺の火山活動が活発になり一時噴火警戒レベル3でしたが1に引き下げられていますが、宿に来ていただくのが何よりの支援ですとの感謝の言葉があり、やはり箱根駅伝の話に及び、任期中に明治の往路優勝を切望していることと、箱根の昇りが箱根駅伝のすべてのような雰囲気になっていることに対して選手の体への影響も考慮して今後変えていく話もされました。挨拶後すぐ退席されましたが差入として富士吉田市“なだや”の芋焼酎世界遺産富士山」を3本戴きました。

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 畳の大広間で飲み放題の忘年会は、中山さんの司会のもと、二年前の湯本萬晩翠楼福住での忘年会を思い出させましたが、小川さんの乾杯の後、足立幹事長からこの1年間の支部活動を振り返った報告があり、来年の申年(三猿)に因み良くないことを“見ざる言わざる聞かざる”よう願って歓談の輪が広がりました。

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 頃合いをみて各人から1分間挨拶がありましたが、根岸  久さんからは新事務局長としての話、三武豊蔵さんからは今年再婚してカラオケクラブで祝ってもらった感謝の言葉があり、また6月総会で新幹事になった佐藤嘉信さんの挨拶には「校友会に参加して本当に良かった、明大の友人に聞くとこの支部のように行事を多くしている校友会は無い、うらやましい」とのことで実感がこもっていました。佐藤さんはアメリカ生活が長く英語にも堪能なので逗子日米協会にも入会してもらい11月22日(日)の逗子武者行列には手造りの鎧を着て大将役で行列参加されていました。

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 宴会では詩吟披露がある西山さんが足の火傷で不参加だったため、菅野さんに詩吟をお願いしました。演題が決まらないため、各人の席に置かれた「湯の花会席」のお品書きを朗詠してもらいました。仲居さんが聞いていましたが驚かれたと思います。出来れば料理長の増山 忍さんにも聞いていただきたかったと思いました。

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 4名の60代後半の方、2名の80代の方、13名の70代の方でしたが、温泉に浸かった後でもあり1年の疲れが取れた気分だったのか皆元気で最後は一本締めで宴会を終えました。なお写真は西山さんに代わり林さんにお願いしていました。 

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 当然部屋に戻って201号室にほとんどの人が集まり、ホテルに注文したお新香で酒宴となりました。酒は宴会から持参した“麦焼酎iichiko”“芋焼酎富士山”の他に中山さん差入の“北八ヶ岳清酒雪国原酒”、山村さん差入の“新潟加茂清酒微濾過大吟醸”等がありました。綾部さんから“つまみ”差入もあり取り留めのない話で時間が過ぎ、寝る前に露天風呂に入りに行った人もいました。

 翌朝は8時の朝食前に温泉に浸かりましたが、外は小雨が降っていました。「箱根旧街道を歩く」と銘打ってウオーキングを予定していましたので、朝食中に参加を募ったところ小雨が降ったり止んだりの天候にも関わらず参加者が5名出て、綾部さんをリーダーに9時にホテルを出発しました。ウオーキングに参加されない方はホテルの小田原駅までの送迎バス出発までゆっくりされていたと思います。また川﨑、三武両氏の自家用に乗せてもらい逗子に帰った人もいました。

  ウオーキングは下見で綾部さんをリーダーにして歩かれたコースの再現で、最初湯本駅まで戻って早雲寺、正眼寺、福寿院、鎖雲寺、須雲川、川畑宿発電所駒形神社、畑宿寄木会館まで行きここからバスで湯本に戻る予定でしたが、天候を考慮し「箱根旧街道を歩く」の趣旨は生かしホテルから宮の下駅まで下るコースに変更しました。東海道でも難所だった箱根には往時の面影が残る古道が随所に残っています。

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 ホテルを出て車道を下りながら東芦の湯バス停迄出て、ここから車道を横切り山道に入りました。真弓の木が赤い実をわずかに残していましたが鷹巣山を経て浅間山を経由して宮ノ下に下りましたが、天気が良ければ湯本まで下る湯坂道を選択するコースもありましたが、これでは最初のコースの倍歩くので止めました。宮ノ下に下ったのは正解でした。広い上り道では両側に杉や桧や椹が茂り、椿が随所に植えられ、馬酔木もよく見かけました。噴石を踏んでの細い道もあり、また石や木の根が出ている急な下り道等あって枯葉がこれらを覆っていて滑り易いため足の負担もかなりありました。

 しかし椿がつぼみを付け僅か赤い花が咲いている木もあり、楓は既に葉を落とし、黄ばんだ破れ傘やぜんまいの葉を見ながら楓、コナラ、クヌギ、ガマズミ、針桐のような落ち葉を踏み両側の青木の赤い実や背の低い沈丁花科の胡椒の木の赤い実、浦島草の赤い実等にも目を留め冬の古道ウオーキングの風情が満ち溢れていました。

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 宮の下に下り箱根温泉の守護神を祭る宮の下熊野神社に寄って箱根温泉宿の繁盛を祈りました。たまたま目にした明治初期に来日して長らく富士屋ホテルに逗留し日本の古典を翻訳し欧州に紹介したという英人チェンバレンの碑も見ています。

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 小田原駅地下街で新鮮な海鮮丼の昼食を取り、年の締め括りの意義あるウオーキングだったことを確認して帰路につきました。

 綾部、山村、佐藤、根岸、足立の参加でした。

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