明治大学校友会逗子葉山地域支部ホームページⅡ

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ベートーヴェン生誕250年にことよせて

 このブログは、5月連休明けに掲載予定でしたが、新型コロナウイルス感染拡大をくい止めるために東京、埼玉、千葉、神奈川の一都三県共同キャンペーンとして4月25日~5月6日迄をSTAY HOME週刊 ≪あなたの命を 家族を 大切な人を 社会を守るため 大型連休の外出を自粛 STAY HOMEウチで過ごそう≫として位置づけされましたので執筆者の了解のもと(未完のため)急きょ暫定掲載していました。

f:id:meijizuyou:20200425080519p:plain 東京、埼玉、千葉、神奈川で展開

 大型連休中ベートーヴェンを含むLPレコードやCD等で家でゆったりと音楽を楽しんでもらえればとの思いでした。連休明け7日に新たな記事・写真を追加し完結しています。改めて見て頂ければと思ます。

                     2020-5-7 支部長  

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  4月15日足立支部長から、電話とFAXで当支部ブログに「(仮題)ベートーヴェン生誕250年に思う」の記事依頼がある。2月役員会でも今年がベートーヴェン生誕250年にあたりクラシック鑑賞クラブで取り上げたらとの話も出ていた。FAXには下記が記されていた。

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  『先日4月12日(日)朝シューベルトの『楽興の時』第3番で始まるNHKラジオ<音楽の泉>で曲が流れているのを聞きました。ベートーヴェンの有名なヴァイオリン・ソナタ第5番「春」で、そういえば今年はベートーヴェン生誕250年にあたるのでクラシック鑑賞クラブで鑑賞の話も役員会で出ていたことを思い出しました。

いつも解説している皆川達夫さんの声と違うような気がしていましたが、アナウンサーから解説は奥田佳道さんとの説明でした。NHKテレビの漢詩紀行朗読終了後も続いていた声が心地よかったNHK元アナ広瀬修子さんの「音楽の泉 お話は皆川達夫さんでした」は聞かれなくなってしまいました。調べたところ皆川さんは3月29日(日)バッハ/無伴奏ヴァイオリン曲(ヘンリク・シェリングの名演奏)の解説を最後に、奥田さんに代わっていました。

音楽評論家の奥田さんは知りませんでしたが、立教大学グリークラブを40年近く指揮した皆川達夫教授の西洋音楽史を学んだ師弟の間柄のようです。上記余談になりまたが、当面支部行事も新型コロナウイルスの影響で開催中止なので是非寄稿をお願い致します。』

      f:id:meijizuyou:20200422160416p:plain      f:id:meijizuyou:20200422160548j:plain   鑑賞会で 堀内敬三著『音楽の泉』を見る      解説者 皆川達夫さん

 勿論、即了解した。昨年はマンドリンコンサート準備で参加者が忙しく、また耳が遠くなったこともあり隔月開催していた我が家でのクラシック鑑賞会は1年程中止になっていて、ブログ掲載は有難い話だった。これまでも開催毎に当日の配布資料を作成して参加者に配ってきたのでベートーヴェンの集約資料をの思いで作るつくることにした。

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       ベートーヴェンはバレ音楽も2作品作っていた (この映像は別)

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 作曲家のベートーヴェンがドイツのボン市で1770年に生まれて、今年で250年になる。これを契機に彼の曲を改めて深く聴き直すのには良い機会であるかもしれない。しかし残念なことに「新型コロナウイルス」禍のため音楽会が開催されないため、ベートーヴェンの曲のコンサートやリサイタルは全く行われない。ベートーヴェンはこのウイルス禍を草葉の陰で歎いていることだろう。

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 ベートーヴェン交響曲第3番「英雄」や第5番「運命」はクラシック音楽の入門の曲であり、多くの人々の知るものである。この第3番「英雄」の楽譜の表紙には「ナポレオンに献呈する」との文章が書き添えられていたが、ナポレオンが後に皇帝になったのを失望したベートーヴェンは、この文章をペンで罫線を引いて抹消している。それ故、本当は「第3番」は「英雄」ではないのではないか。

 そして、遺書(ハイリゲンシュタットの遺書)を書いているように、かれの生涯は決して明るいものではなかった。特に彼の晩年は耳の難聴に苦しんだ。作曲家にとり耳が聞こえないことは致命的な打撃である。彼はこの難聴を直すために種々と手立てを尽くし苦闘している。

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 ベートーヴェンが弟カールの遺児カールと弟ヨーハンに残した手紙。数日後に「歓喜と澄みきった一日を一度は私に見せて下さい。」と祈りの言葉を添えている。

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 だが、彼はその苦難を逆手にとり、その難聴のなかで、すばらしい曲を生み出している。それらは晩年に作曲した室内楽、つまり弦楽四重奏曲やピアノやヴァイオリンのソナタなどである。そのなかで特に弦楽四重奏曲の「第15番イ短調」と「第16番へ長調」とがすばらしい。この2曲は聴くのが難解ではあるが、ベートーヴェンの心の苦渋を深く理解するためにも、この生誕250年のこの時には、ぜひとも聞いて欲しい曲である。

 さてベートーヴェン交響曲はそれらを演奏する指揮者により、その趣、感想が全く違ってくる。例えばフルトヴェングラーカラヤンとの演奏は全く異なる。それ故、フルトヴェングラー・ファンはカラヤンが大嫌いである。しかし、私はカラヤンの生演奏(なまえんそう=録音ではなく実際の演奏)を、彼が初めて単身で来日して、NHK交響楽団を指揮したのを初め、その後のベルリン交響楽団を引き連れて来日する度に、すべての生の演奏を聞いているためか、彼の演奏に深い親しみを抱いている。カラヤンは女流クラリネット奏者のザビーネ・マイヤーをベルリン・フィルに推挙したのを、楽団員から拒否されてから、遂に楽団員たちからカラヤンベルリン・フィルの終身指揮者の地位を降ろされてしまい、ソニーの大賀社長のみに看取られて寂しく世を去ることになる。このためか、カラヤン嫌いが多いのかもしれないが、私の場合、先述したようにカラヤンの生演奏を多く聞いてきているためか、彼は好きな指揮者の一人である。彼の生演奏は迫力と溌剌としたもので、私は彼の指揮するベートーヴェン交響曲は、今でもありありと脳裏に浮かんでくる。

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      ヘルベルト・フォン・カラヤン        第九を指揮する大賀典雄

 私はフルトヴェングラーも好きな指揮者であるが、彼の生演奏は聞いたことがない。熱烈なフルトヴェングラー・ファンでも、彼の生演奏を聞いている人は殆どいないのではないか。往年の演奏家の好悪の判断は録音(CD)に依るしかない。が、私のカラヤンからの体験から思うには、生演奏を聞くことで、印象がガラット変わることはあるのではないか。そこで、このベートーヴェン生誕250年のこの際に、彼の交響曲室内楽を、生の演奏で聞く機会にしてみてはどうだろうか。ベートーヴェンの音楽にたいする感激・印象が変わるかもしれない。

 
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 以下「クラシック鑑賞会」で取り上げた際の資料等からベートーヴェンに関する部分を抜粋して記すことにする。

 

第4回 平成25年3月31日 テーマ「ベートーヴェン

 1770年ドイツのボンに生まれ1827年56歳で生涯を終える。終生結婚しなかったがそれは愛した女性が全部貴族の出身で身分の違いに原因があったためなどという。オーケストラの指揮者はベートーヴェン交響曲の指揮で評価されるようである。

  交響曲 第1番~第9番(第3番「英雄」、第5番「運命」、第6番「田園」、第9番「合唱付き」)のさわりを聴いた。第5番「運命」では、出だしのいわゆる「運命が扉をたたく」というモチーフの曲のところを、フルトヴェングラーブルーノ・ワルタートスカニーニカラヤンなどの指揮者が演奏した各々のCDで聴き比べをした。

 その他、弦楽四重奏曲やピアノ協奏曲、ヴァイオリン協奏曲等も聴いている。

 

第5回 平成25年7月28日 テーマ「ブラームス

 ブラームスベートーヴェンを崇拝して部屋にベートーヴェンの像を飾っていた。

 ベートーヴェンの作風を最もよく継いでいるのは、ブラームスであると言われ, 「作曲中絶えず背後に巨人の足音を聴いていた」彼の交響曲第1番の作曲時の心境を伝えるこの言葉は余りにも有名である。

 f:id:meijizuyou:20200422234558j:plain ブラームス

 

第9回 平成26年4月27日 テーマ「シューベルト

  シューベルトが最も尊敬し目標にしたのはベートーヴェンである。シューベルトが生まれた時、ベートーヴェンは27歳。既にウィーンで演奏活動をしていた。11歳で神学校の寄宿生になった頃は、次々と交響曲を発表し、寄宿生にとっては憧れの的であった。かつてベートーヴェンを教えた宮廷楽長のサリエリからはとくに熱心に学んだ。

f:id:meijizuyou:20200423095011j:plain シューベルト

 ベートーヴェンが死去した際葬儀に参列したシューベルトはその後仲間と酒場に行って「この中で最も早く死ぬ奴に乾杯」と音頭をとり、翌年自ら31歳の若さで亡くなった。ヴェーリング墓地のベートーヴェンの墓の右隣に埋葬され、二人の遺体は後にウイーン中央墓地に移された。部員の林さんと斎藤女史は訪ねたと聞いている。

 ヴェーリング墓地は今シューベルト公園になっているが二人の墓石は残されている。

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               ヴェーリング墓地                                              ウイーン中央墓地 

 

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    べートーヴェンの家         使用していた78鍵 ピアノ

  

 第12回 平成26年10月26日 テーマ「リスト」

 12歳のリストが演奏する会場に居合わせたベートーヴェンは少年リストを抱いて額にキスを与えた。天才的なピアニストだったリストはベートーヴェン交響曲ピアノ曲に編曲している。

f:id:meijizuyou:20200422234653j:plain リスト


第15回 平成27年4年26日 テーマ「ワグナー」

 ワグナーはウェーバーから強い影響を受けたが15歳の時にベートーヴェンに感動を受けて音楽家を志した。また当時演奏されることが少なかったベートーヴェンの『第九』の演奏会を成功させ、以後『第九』は名曲として評価されることとなった。

 f:id:meijizuyou:20200422234743j:plain ワグナー

 

第17回 平成27年8月16日 テーマ「マーラー

 マーラーの弟子のブルーノ・ワルター指揮ベートーヴェン交響曲第6番へ長調「田園」を聴いた。ワルターはステレオレコードが出現した時代まで生存していたため所有のコロンビア交響楽団ワルター指揮LPを懸けての鑑賞だった。

 

第25回 平成29年1月28日 テーマ「ピアノ曲

 ベートーヴェンは、その時々に使っていたピアノの鍵盤(61鍵~73鍵)を目いっぱい使って作曲したと言われ、ピアノ作品は、そのままピアノの歴史と言っても過言ではない。現在の88鍵ピアノはベートーヴェンやリストの時代にはまだ無かった。ベートーヴェンには多くのソナタ(悲愴、月光等)が有名で、また5つの協奏曲(第5番「皇帝」等)も聴いている。

 

第26回 平成29年3月25日 テーマ「ヴァイオリン曲」

 著名な作曲家はヴァイオリニストを除きヴァイオリン協奏曲は1曲しか作っていない。同年代のヴァイオリニストの名手に意見を聞いたり依頼されて作曲しているので演奏としてはハイレベルの技術がいるということで良い音が出やすいニ長調で作られることが多い。ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲はヴァイオリニストのヘランツ・クレメントの助言を入れて作曲、クレメントの演奏は素晴らしいものであったがその後演奏されることも無く忘れられていた。ブラームスの親友ヴァイオリニストのヨーゼム・ヨアヒムが再び取り上げ『ヴァイオリン協奏曲の王者』と呼ばれるまでの知名度を与えた

f:id:meijizuyou:20200423000038j:plain  ヨーゼム・ヨアヒム

 

第28回 平成29年7月29日 テーマ「よく知られた交響曲

 ベートーヴェン交響曲は指揮する指揮者の良し悪しや好悪で判断されるようだ。

第6番「田園」だと指揮者のブルーノ・ワルターの指揮が、第7番はクライバーの指揮が、また第9番「合唱付き」ではフルトヴェングラーが最高といった具合である。

 f:id:meijizuyou:20200422213325j:plain ブルーノ・ワルター 第6番「田園」

f:id:meijizuyou:20200422213402j:plain カルロス・クライバー 第7番 

f:id:meijizuyou:20200422213445j:plain  フルトヴェングラー 第9番「合唱付き」

 

第32回 平成30年3月28日 テーマ「名曲と名演奏家

 現在ショパンを弾くピアニストは多いが、彼らはベートーヴェンピアノ曲はあまり演奏しない。ベートーヴェンピアノ曲を演奏する著名なピアニストはロシアのエミール・ギレリスやスヴャストスラフ・リヒテル、イタリアのマウリツィオ・ポリーニ(彼はショパンも演奏)やドイツのアルフレッド・ブレンデル等々である。

 ベートーヴェンのピアノ・ソナタの中から ピアノ:エミール・ギレリスを聴いた。

f:id:meijizuyou:20200422214812j:plain エミール・ギレリス  

 

 ***明治大学校友会のブログなのでやはり明治大学専門部文芸科で学んだ

     『五味康祐氏とベートーヴェン』について述べておきたい。***

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 五味康祐は剣豪作家となる前、極貧のため妻とも別居しルンペン同様の放浪生活をしていたが彼を支えたのは『新潮社』の怪物編集者斎藤十一氏だった。度々斎藤氏宅でLPレコードを聞かせてもらい、これが芥川賞受賞後、収入多大になってから豪邸を新築した際、タンノイ・オートグラフという英国製のオーディオマニア垂涎の高価なスピーカーを購入し、大型のオーディオ装置を30畳の部屋に設置している。

                      (週刊『新潮』のグラビアに掲載)

 クラシック音楽に造詣深く、晩年入院先の病室に持ち込まれたオーディオ装置とヘッドフォンを使って、五味が最後に聴いたレコードは、ベートーヴェンピアノソナタ

第32番作品111だった。また生前、五味は「私が死ぬとき、もし、天候に異変があったら、わたしはベートーヴェンのもとに往くのだ、そう思ってくれと家内に言ってある」と語っている。

 五味康祐氏は鎌倉建長寺の回春院に眠っているので新型コロナウイルス感染が収束した暁には今年是非訪ねて共にベートーヴェンについて語り合っていただきたい。

                         ( S28商卒 柳生 浩 )

追記1:大賀典雄ソニー社長について

 モーツアルトの生誕地でもあるザルツブルグカラヤンの家で最後を看取った大賀さんは「いい音を聞くには平行壁面があってはいけない」と言って軽井沢に正五角形の大賀ホールを作ったことでも知られていますが、逗子の披露山庭園住宅(トンネルの上近く)に家があり、大崎公園を散策することもありました。偶然出会って会話した部員もいましたが柳生さんの奥様は大賀夫人の緑さんと絵画の関係で顔見知りとのことです。また大賀さんをソニーに誘った創業者盛田昭夫さんも逗子にあった海軍施設の縁で逗子に一時住まわれていました。

追記2:皆川達夫さん訃報

 この4月19日、92歳で3月までNHKラジオ「音楽の泉」を12年に亘り解説されていた皆川達夫さんが亡くなられました。心よりご冥福をお祈りいたします。

                      逗葉駿台会クラシック鑑賞クラブ 

 

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故 浅田毅衛 特別顧問の想い出

 昨年(令和元年)12月25日浅田毅衛当支部特別顧問の篤子奥様から電話を頂き、先生が12月14日死去されたことを知らされました。享年89歳でした。

 ー浅田毅衛先生は1954年(S29)博商卒で元明商学部長、名誉教授。そして

逗子市久木に住まわれ平成7年10月より当支部顧問のち特別顧問をされていましたー

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 昨年は3月6日(水)に逗子文化プラザで逗子葉山日本中国友好協会創立20周年記念の「春節の祝い」があり、私が実行委員長だった関係から提案して浅田先生に創立20周年記念式典で記念講演をいただきました。これは10年前に先生にもご協力いただき、明治時代に日中友好のために尽力された葉山に住み葉山で亡くなった岡田朝太郎氏のお孫さん高木さと子さんの依頼を受けて記念碑を建立した縁があったからです。岡田朝太郎氏は清国政府の要請を受けて東京帝国大学教授の身で北京大学創立前夜から中国に赴き中国の法典近代化に努めた方で広田弘毅吉田茂両総理の恩師でもありました。東京帝国大学退官後は明治大学で教壇に立ち、若い頃明治政府が招いたボアソナードの通訳をしていた縁でボアソナードが帰国の際に使用していた机を譲り受け、後に明治大学に寄贈したことでも明治大学とは縁の深い方でした。

 浅田先生を伴って小坪の渡邊貞雄逗葉日中友好協会会長の自宅を訪問して打合せした際には渡邊会長より1歳下という事で話がはずんでいました。

f:id:meijizuyou:20200322231845j:plain 渡邊貞雄会長

 先生は元気そのものだったので訃報には驚きましたが、奥様の話では「春節の祝い」のあとに旅行に行ったり元気にしていたとのことですが、5月頃に肺がんが見つかり、その後、頭の血管に転移し血瘤が出来て専門の病院に入院されていたそうですが脳梗塞で急逝されたそうです。葬儀は家族葬で22日(日)済ませましたとのことでした。明大商学部教授・名誉教授でもあったので、教え子の先生方が弔問に訪れて忙しいと思い暫く弔問は控えていましたが、1月31日(金)午後訪問し奥様と先生との想い出を語っています。

 先生には当支部創立時からご協力いただいていましたが支部の総会、新年会にも以前出席されていました。また私にとっても、ゼミの先生であった石井常雄教授の大学での教授室の向い側が浅田毅衛先生の部屋であったこと、また石井先生が古希を迎えて大学を去るに際して浅田先生が「献呈の辞」を石井先生に贈っていただいたことも後で判りより親しみを感じていました。

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   石井ゼミ(前列左から3番目が石井先生。4番目は藤沢地域支部中澤幸雄氏)

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             (石井ゼミ同期の仲間)
   献呈の辞

 石井常雄教授には,心身ともにご壮健で古稀を迎えられ,誠にめでたく思います。これを祝って商学研究所では古稀記念論文集を献呈し,教職員一同お喜び申し上げます。石井先生は,1927年(昭和2)年5月27日東京都池袋に生れ,生家は都内を流れる「神田川」発着の貨物を取扱う運送業者であったという。子供の頃から乗物に関心をもたれた先生は,その生い立ちから現在の先生の研究を宿命づけるものがあったといえるだろう。交通とくに小運送に関心を持ち続けてこられた先生は,1946(昭和21)年明治大学商学部に進学し,麻生平八郎博士に師事して「交通論」を専攻しながら交通分野で当時陽の当ることが少なかったトラック輸送産業の研究に励まれ,大学院を経て,1963(昭和38年)年教授となり,現在学生に敬愛されながら「交通論」「倉庫論」の講義と「演習」を担当されている。先生の研究姿勢は,鉄道,トラック輸送の基本的性格を「歴史的=論理的」立場から日本的特質を明らかにし,鉄道史・トラック史などの研究を散逸しつつある文献・原史料の蒐集を進めながら展開し,中小運送業の近代化も交通に働く人たちの地位向上を提言しておられる。門外漢である私には研究業績の意義を推し量ることはできないが,本巻の巻末に掲げられている業績目録にそれが示されていると思う。また,先生の功績は,その研究を通じて,通商産業省建設省運輸省などの専門委員として活躍された巻末の略年譜にみられるように,日本交通政策に深く貢献されていることを忘れることはできません。石井先生は昨年5月に古稀を迎えられ,本学の規定にしたがって3月をもって定年退職される事になった。本当に寂しい気持ちがします。同世代に育った私には,先輩である先生から文献,原史料の蒐集・研究方法などいろいろなことを教わった。先生には将来車両・その他の運搬具や諸史料を展示,公開できる「資料館」の創設という大志をえがかれているとのこと,その実現にむけて益々ご健康に留意さ'れて全国をかけ巡って下さい。そして,新しい21世紀に向かって前進していく明治大学商学部の姿を末永く見守って下さるよう心よりお願いします。最後に,今一度先生の古稀へのお祝いと,長年にわたり大学・本学部への教育・研究に尽くされた先生の功績に感謝の意を表してこの古稀記念論文集を献呈し,お別れしたいと思います。1998年2月吉日 商学部長 浅田毅衛

 

(印象深い浅田毅衛先生との想い出)

1.支部創立記念時計と創立記念旗に署名をもらう

 明治大学校友会逗子葉山地域支部(設立時は逗葉支部)は平成4年11月21日に創立総会を開催していますが、これに先立つ発起人会や幹事会で翌年5月23日に明大マンドリン倶楽部演奏会開催と支部創立記念時計を作成することを決定していました。記念旗も急きょ作成しています。

 記念時計と記念旗に署名のお願いで浅田先生を訪問したのは平成5年3月のことだったと思います。家に上がり先生と奥様にお会いしたのはこれが最初でした。

 

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f:id:meijizuyou:20200322211049j:plain 右斜め上に署名

 

2.明治大学マンドリン倶楽部演奏会のプログラムに記事依頼

 第1回演奏会プログラムには葉山在住の斎藤正直元学長の紹介記事を掲載し、平成6年の第2回演奏会プログラムには逗葉地区在住明大教授として白石四郎、由井武夫、鈴木享子、浅田毅衛の4氏の記事が掲載されていますが浅田先生の記事は下記となっていました。

 「私が逗子に居を構えるようになったのは、昭和45年12月でした。その頃の大学は紛争の余韻が残っており、静かで空気が良い逗子の町への帰宅が私には心の安らぎでした。今では違った意味でこの町の生活がその気持ち強くしてくれています。遊びに来てくれる学生諸君から通学への遠さを同情されますが他の地に住む気にはなれません。この地に校友会支部が出来たことは、すばらしいことだと思います。

                            (昭和29年商卒)

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3.平成19年6月16日総会で喜寿を祝い「喜寿讃賞」の賞状をお渡ししました。

 当支部では慶節を迎えた会員を総会で紹介して賞状と記念品を渡して共に祝うことにしていました(現在は廃止)が浅田先生が77歳の喜寿を迎えた平成19年総会の際に下記賞状をお渡ししました。

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       喜寿讃賞        浅田毅衛 殿

 あなたは昭和五年城崎温泉を北に望む城下町兵庫県豊岡に生まれて以来今日まで、紺碧の日本海と白砂青松の景観を脳裡に刻んで今年七十七歳の喜寿を迎えられました。

 明治大学教授として百年史の編纂に尽力され、今本学創立時最初の教師であった西園寺陶庵公が住んだ披露山と山続きの地に住んでいることに奇縁を感じておられるのではと思います。ここに満々と水を湛える郷里円山川の悠々たる流れに綾かって喜寿讃賞を贈り記念品を添えて表彰し共に長寿を祝うものです。 

  平成十九年六月十六日   明治大学校友会逗葉地域支部 支部長 船津孝二郎

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         (慶事表彰者を代表して挨拶する浅田先生)

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          (喜寿の美食を堪能する浅田先生)

    

4.平成20年11月13日付の岡田朝太郎顕彰碑建立にご協力いただきました。

 この碑は岡田朝太郎の孫の高木さと子さんから当明大校友会に協力要請があったもので、船津支部長の後押しで作成まではほぼ順調に進んだのですが設置場所の問題から暫く建立出来ませんでした。岡田朝太郎の功績調査や明治大学関係場所への設置等に浅田先生にお願いしたこともありましたが、高木さんが高齢でもあり池子の海の見える高台に現在仮設置したままになっています。

f:id:meijizuyou:20200322211910j:plain 浅田先生と

f:id:meijizuyou:20200322232351j:plain 裏面記載

 この碑は日中平和友好条約締結30周年を記念した岡田朝太郎の顕彰碑と共に川柳界の功績を謳った川柳碑にもなっていて多くの人に見て欲しいと思っていましたが、10年ほど経って平成31年3月の逗葉日中友好協会創立20周年記念「春節の祝い」の記念講演で浅田先生に紹介していただき資料配布もしましたのでより多くの方々に知られることになりました。(碑を見に行かれた方も多かったと聞いています)

 

5.平成24年6月16日(土)当支部創立20周年記念総会で記念講演

 浅田先生は明治大学百年史の編集委員をされていたので、支部創立20周年記念に際し、「明治大学130年のあゆみ」と題して記念講演をお願いしました。逗子文化プラザさざなみホールでの講演はプロジェクターで明治大学関連の多くの写真を写し説明をいただいたのもついこの間のような気がしています。なおギャラリーで写真クラブと書道クラブの展示もあり多くのご来賓に見ていただきましたが、浅田先生にも見ていただいています。 

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       (ギャラリーで開催した書道クラブの楽書展を見る)

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              (白石四郎特別顧問の幸子夫人と)

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(創立20周年記念総会は平井逗子市長、山梨葉山町長にも浅田先生の講演を聞いてい

 ただき向井眞一東部支部長ほか他地域支部、地元他大学校友会の方に加え明治大学

 援団を迎えてのイベントとなり浅田先生にも想い出に残る1日になったと思います)

 

6.平成31年3月6日(水)逗葉日中友好協会創立20周年記念「春節の集い」で

  記念講演

 この年3月迄は逗葉日中友好協会創立20周年と日中平和友好条約締結40周年を祝う年度ということで10年前に明大校友会が協力して建立した岡田朝太郎顕彰碑の周知の意味合いから浅田先生に記念講演をしていただきました。なお式典では碑に名前のある森英二葉山町長の勝美奥様、平井竜一逗子市長(共に当時)と横浜弁護士会元会長の横溝正子さん(当支部会員)にも演壇に上がってご挨拶いただいています。

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           高木さと子さんと森英二・勝美夫妻

f:id:meijizuyou:20200322212221j:plain 森勝美さん

f:id:meijizuyou:20200322212321j:plain 横溝正子さん

 

7.浅田先生は森英二前葉山町長の師でもあり、岡野加穂留学長と共に森英二氏の

  良き支援者でした。 

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  ’ (前列中央で花を持っているのが岡野学長、右隣は由井武夫特別顧問)’

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   (2008年~2012年 葉山町長をつとめた森英二氏・S37商卒)
 

8.浅田先生からは自ら編集委員であったので明治大学に関する多くの本を寄贈して

  いただきました。

  1)「明治大学100年史」

  2)「大学史紀要」第11号(特集 創立期の明治大学

  3)「紫紺の歴程 大学史紀要」第2号~第4号

  4)「明治大学商学部100年史」 

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   (総会で講演いただいた圭室文雄先生は明治大学商学部100年史の編集委員でした)

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 ( 浅田先生喜寿の年、箱根駅伝のため練習する体育会競争部を応援に行きましたが

 松本穣部長・S42商卒は明治大学商学部100年史の編集委員でもありました) 

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  (葉山に出来た明治大学体育会ヨット部合宿所にも足を運ばれ喜んでおられました)

 訪問した時まだ遺骨はご自宅で仏前にお線香を上げてから応接間でお茶と菓子を

頂いて30分程篤子奥様と想い出話をしました。先生の叙勲(平成22年4月瑞宝

中綬章)表彰額が飾られている応接間にはやはり教え子の方が多く見えられたとの

ことで、私のゼミの先生だった石井常雄教授のことも良くご存知でした。浅田先生

はものに拘らない一見おっとりした性格の方に見受けられましたが、100年史の

編纂に関与されていただけあって史実に忠実な面が感じられ講演内容についても良

く確認されていました。浅田先生が先輩である石井先生から文献,原史料の蒐集・研

究方法などいろいろなことを教わったと述べておられたのでその証かなと思います。

 米寿の祝いは1年前に済まされたとのことでしたが、今年の東京オリンピックを見

る前に旅立たれたのは残念でしたが新型コロナウイルスを知らずに逝かれたのは幸い

だったかなとも思います。弔文に替えて想い出としてブログ掲載としましたので浅田

ゼミ及び石井ゼミ関係者の方の目にも留まれば幸いです。

 

追記:当支部ホームページ左の索引末尾をクリックすれば浅田先生講演内容が見られ

   ます。また当支部ブログ2019年3月28日付「春節の祝い」も参照下さい。

                        支部長   足立泰秀 記 

 

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令和2年の新年会を開催しました

 令和初となる令和2年の新年会は、1月18日(土)に逗子海岸に面したシーサイドイタリアン「カンティーナ逗子店」で、11時30分から開催しました。最近の新年会は開始が14時からでしたが、今回急きょ会場を変更したため11時30分~14時の時間帯になりランチ新年会としました。

 

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 総会と異なり来賓もなく会員と言っても役員と一般会員の顔馴染みのかたが殆どで、令和初の新年会としては特色もなく恒例の詩吟朗詠と明大応援歌斉唱のみでは寂しいので1月5日(日)の逗子葉山鎌倉寄席新年会落語会に来られていた池田雅子さんに太極拳披露のお願いを中山、足立で打診していました。1月11日(土)の役員会で正式に決定しお願いメールを入れ、快諾頂きました。息子さんが現役明大生でもあり、また神奈川県日本中国友好協会の広報部長・太極拳講師・楊名時太極拳師範と頂いた名刺に記されていました。 

 昨年11月の明大マンドリン倶楽部チャリティーコンサートは西日本豪雨災害にあった主として岡山県倉敷市真備町に復興支援金として届けましたが、真備町(まびちょう)は吉備真備(きびのまきび)ゆかりの地でした。

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          ( 倉敷市真備支所)     (中国西安にも立派な記念碑がある)

 吉備真備奈良時代、日本が中国(唐)を参考にしながら国家樹立を目指していた時代、20代前半で唐に留学、17年間に渡る滞在の後に多くの書物、楽器などを日本に持ち帰り朝廷の厚い信頼を得て活躍した低階級の学者で右大臣までなった人です。2度目の入唐の際には高僧鑑真を日本に連れて来ています。鑑真は密教天台宗の教えを日本に伝え、鑑真が来なければ空海最澄がここまで有名になることはなく、高野山比叡山もただの山になっていたかもしれないと言われています。

 岡山県吉備真備神田神保町前の書店主で日中友好協会創立者内山完造ゆかりの地で全国に先駆けて日本中国友好協会が出来た地でもあり今年設立70周年の慶節を迎えていて、この年の新年会に県日中友好協会の広報部長池田雅子さんに太極拳披露をしていただいたのも思い出に残ることとなりました。

 

 役員集合10:30、綾部・斎藤・鈴木(達)3氏で11:00受付開始、そして11:30より小川幹事長の司会で正月の箱根駅伝ラグビーの大健闘に触れた開会の辞となり、足立支部長の新年の挨拶がありました。

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 支部長からは、昨年のマンドリンコンサートの協力のお礼と義援金30万円を明大校友会岡山県支部を通じて倉敷の伊東香織市長に届けてもらった報告があり、また今年のオリンピック開催にあたり明大スポーツWEBに「東京五輪 明大関係者必見の注目競技」として活躍を期待できる選手の記事が出ていたとの紹介もありました。地元逗子高校卒の池田健星君(法3年ボードセーリング部)がセーリングRS:X級に出場することにも触れていました。柔道の小川雄勢君(平31卒)、卓球の水谷隼(平24卒)、丹羽孝希(平29卒)、森薗政崇(平30卒)の3君はテレビにもよく出るので良く知られているOBです。オリンピックでは明大関係者に注目して応援しようとの挨拶でした。 

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              ( 池田健星君   逗子海岸で  *地元の明大校友会で応援しているよ!!) 

 

 次いで恒例の敬老祝賀があり今年米寿の桐島さん、喜寿の三武、足立両氏の紹介があり記念品が渡されています。

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         (米寿の敬老祝賀の記念品を桐島さんに贈呈)

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    (足立支部長も喜寿対象のため仲内支部長代行から記念品を受ける)

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        (記念品は明大グッズのタオルとハンカチでした)

支部財政上、敬老祝賀の記念品(商品券)は廃止になりましたが、対象者で新年会出席

 者のみ新年会費で明大グッズ(1,000円相当)を購入し贈呈して共に祝っています。

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          (対象者を代表して桐島さんより挨拶)

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     (会場を間違えて遅れてきた三武さんに敬老祝賀の記念品贈呈)

      *会場変更の連絡不行き届きで申し訳ありませんでした。

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 (葉山マリーナに行ってしまいました。正式案内と会報記事良く見ていませんでした)

 セレモニーを終えて11:50から懇親会となり桐島さんの乾杯挨拶後、飲食歓談となっています。なお今回の新年会は参加者が30名と少なく、テーブルをコの字型にして全員顔が合せられるレイアウトとしました。この場所は日本酒、焼酎が無いので剣菱赤霧島いいちこ・そしてアルパカワインも持ち込んでいました。料理、酒はバイキングスタイルでしたので各自取りに行って歓談となりました。

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  メニューは下記でした

     マグロのカルパッチョ、 イタリア産プロシュートとミラノサラミ
     アオリイカとオリーブのマリナート、 新鮮野菜のグリーンサラダ

     ピザ マリゲリータ   ビアンケッティ

     真ダコと季節野菜のトマトソースペンネ
     鶏もも肉とじゃが芋のジェノベーゼカザレッチェ

     みやじ豚のフィレ肉のロースト、赤ワインソース

     デザート

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 頃合いをみて西山、菅野、田澤3氏による詩吟朗詠となり、プロジェクター担当の根岸さんがスクリーンに詩吟の映像を映すのを見て詩吟朗詠に耳を傾けています。石川丈山「富士山」、新島襄「寒梅」、中村草田男「降る雪や」の他に菅野さん自作の「逗子葉山の詩」もありました。

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       (田澤さんによる詩吟 石川丈山「富士山」)

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                             (西山さんによる詩吟  中村草田男「降る雪や」)

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      (菅野さんによる詩吟 菅野さん自作の「逗子葉山の詩」) 

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          (西山、菅野ご両人で合吟 新島襄「寒梅」)

 次いで先に紹介した池田雅子さんによる太極拳の型(八段錦・24式太極拳)披露がありました。音楽担当は鈴木(悟)にお願いし健康にいいと注目されている太極拳のゆっくりした筋力の動き、手足の形、深い呼吸を一同見守りました。

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 このあと暫くして個々に一言参加者の挨拶がありました。

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  順番が斎藤さんになって挨拶後にお座敷長唄「吾妻八景」と歌舞伎唄「越後獅子

 浜唄」のさわり披露もありました。

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         (挨拶後 唄を披露する斎藤さん)

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 (田澤さんの詩吟「富士山」を連想して吾妻八景の一 日本橋からの富士山を眺める

 この絵を思い浮かべた人がいた?) 

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 明大応援歌「紫紺の歌」「都に匂う花の雲」それにカラオケクラブで毎回締めで歌う「丘を越えて」をマンドリン倶楽部のCDの伴奏で合唱しました。その後、菅野・下里両氏の指揮で明大校歌を一同肩を組んで歌い、エールを送って仲内支部長代行の閉会の辞と一本締めで14:00終了となりました。 

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 (下里さんの顔にプロジェクターの光が当たっていますが必要な写真なので掲載)

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       (仲内支部長代行の音頭による一本締めで終了しました) 

 片付けをして参加者は“みぞれ”が少し降る中帰路となりましたが、20名程の参加者はJR逗子駅新逗子駅中間にあるカラオケボックスBAN BANに行って2次会となりました。

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 BAN BANにはお招きした池田さんも参加、ここではテレサテンの歌を披露していただき、普段聞かれない高橋、大川両氏の歌披露もありました。 

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  当日の写真は西山さん、鈴木(悟)さん、桐島さんにも撮っていただきました。

 

追記:支部長の挨拶に有る「東京五輪 明大関係者必見の注目競技」を検索して見て

   いただき、今年のオリンピックを一層楽しいものにしましょう。

 

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正月は箱根駅伝とラグビー大学選手権の応援でした

1.明大は箱根駅伝予選会と決別

 昨年10月26日(土)の昭和記念公園での箱根駅伝予選会に西山、綾部、川﨑、小川、中山、根岸の6名が応援に駆け付けました。平成28年正月の箱根駅伝14位と8年振りのシード権落ち以来、4年連続予選会に回っていましたが東京国際大、神奈川大、日本体育大に次いで4位となり本戦出場を決めました。

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 昨年の予選会では筑波大が6位で26年振りに本戦出場を果たしたことと、名門の早大9位、中央大10位とかろうじて予選会通過だったのが印象に残った結果でした。

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 翌日開催された明大のホームカミングデーで山本佑樹駅伝監督からは「予選会は出たくない、スケジュール調整が大変」という強い意思表示の挨拶があったそうで、出席した西山、小川両会員も「明大は箱根駅伝予選会と決別」と受け止めたようです。確かに予選会のあと行われた全日本大学駅伝熱田神宮伊勢神宮)は15位と低迷でした。

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   ( ホームカミングデーで)    (2018年4月監督就任で今年の駅伝2回目)

 1月2日と3日は毎年恒例の箱根駅伝応援会で朝9時にJR逗子駅集合、藤沢地域支部の応援場所である南仲町交差点に合流して応援しました。なんと言っても東海大青山学院大東洋大、駒沢大、国学院大の上位5校は不動で前回5位の帝京大がどこまで頑張るかという状況の中、明大の今年の目標は良くて6位、最悪でもシード権は確保することでした。今年の1年生が4年生になるまでに3位以内に入り、第100回箱根駅伝迄には優勝する決意で臨んで欲しいと願っています。唯し他校は合宿所、グランドなどの設備が格段に良く有望な新人獲得に力を注いでいるのでこの面でも難しい環境ですが、山本監督からは「来年は有望な選手が入部する」と話が出ているそうです。

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 初日2日の往路エントリーは1区小袖(3年)、2区加藤(1年)、3区小澤(1年)、4区金橋(2年)5区鈴木(2年)でしたが、藤沢に来る3区は手嶋(2年)に変わっていました。1区2区とも10位で3区につなげ手嶋が順位を3つ挙げて7位、4区では9位で5区の山登りにタスキを渡しました。これまで明大は小田原迄は良くても山登りの5区で順位を大幅に落していましたが2年の鈴木が何と4つ上げて往路5位でテープを切りました。悪くてもシード権確保を願っていたので出来すぎの感があり、復路阿部(4年)を残しているので3日は期待も膨らみました。

 復路の当初のエントリーは6区坂井(3年)、7区村上(3年)、8区酒井(3年)、9区三輪(4年)、10区前田(3年)でしたが、全員変更になりました。山田監督が5位以内への思いを強くしたのではと思います。6区前田は5位をキープ、6区阿部は区間新で4位に上げ、8区櫛田(1年)が藤沢の応援場所に来てそのまま4位で9区村上につなげています。

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              (8区 藤沢の応援場所を通過する1年櫛田君)

 応援から逗子に戻り千登世寿司のテレビで最終の10区迄見て応援でした。村上も4位で10区河村(4年)に後を託しました。最終ランナーは他校とも強力選手を選んでいて1位青山学院大、2位東海大の順位は確定も3位から6位までが東京国際大、明大、国学院大、帝京大の4校がしのぎを削る状況となりました。結果は3位国学院大、4位は区間新を出して帝京大となり、5位東京国際大、6位明大となりましたが、3位との差は26秒で、往路9位だった早大は順位を上げて7位となりましたが、明大との差は2分57秒ありました。結果的に良くて6位の目標通りでしたが、あわよくば3位にも入れた状況でしたので出来過ぎの感がありました。

 予選会では4年生の故障で後輩が頑張ったことが良い結果を生んだようです。今年出場した選手は4年2名、3年3名、2年3名、1年2名でしたが、出場経験のある酒井(3年)を入れ来年は経験者9名が残り、今年期待されながらも出場しなかった1年の小澤や杉本もいて、これに有望な新人が加わり来年の箱根駅伝が楽しみです。

 5強に入っていた東洋大は往路11位から復路余り挽回できず総合10位と辛くもシード権は確保しましたが11年続いた総合3位以内が途切れています。

 

2.明大は3季連続ラグビー大学選手権出場  

 

 1月2日ラグビー大学選手権の準決勝があり、箱根駅伝応援組と別れて西山、仲内、小川の3名が秩父宮ラグビー場に駆け付けました。第1試合は早大対天理大で天理大は早大にチャンスを潰されラインアウトの連続失敗やハンドリングエラー等のミスで早大に14対52と大敗し、早大は6季振りの決勝進出を決め、平成20年以来16度目の優勝を目指すことになりました。

 第2試合が明大対東海大でした。東海大は明大のオフサイドの反則でPGを選択して先ず3点を先制しましたが、これから明大はFW,BKの一体となった反撃に出てその後、東海大に1トライしか許さず山崎、飯沼、射場、箸本の4トライと山沢の3G,1PGで29対10で勝利し昨年に続き2連覇をかけて新国立競技場での早大との決勝戦に臨むことになりました。

 

 1月11日は新年会を控えた役員会の日でしたが、ラグビー大学選手権のそれも明早戦での決勝戦ということで砂山、西山、仲内、小川の4名が応援で新国立競技場に初めて入りました。12月の第1日曜日は関東大学対抗戦全勝同士の明早戦となり明大が勝利していました。(昨年の対抗戦応援会ブログ参照)

 1昨年の明早戦で明大は破れたものの昨年の大学選手権では早大に勝って優勝しているため、相手チームに研究されて対抗戦での勝敗は関係ないというのが実情で早大も天理大で圧勝していることを考えると明大の勝利を望んでも勝敗はどちらに転ぶか判らない状況でした。外苑前駅から国立競技場まで大変な人の列で、30分くらい掛かり1時間少し前に到着しました。既にゴールポストの後ろや3階の自由席は超満員で凄い熱気に包まれていました。

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 我々は1層メインSS席正面左側のゴールポスト側、前から15列目の席に陣取りました。

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 左右の大型電光掲示板に明早それぞれの応援団の映像が映りその度に大歓声が起こります。

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 場内アナウンスが明早代わる代わる応援の小旗を振るよう号令をかけると6:4位で明治が多かったようです。グランドは360度大観衆に囲まれていて秩父宮より小さく感じました。またインゴールが10メートル位しかなく、これでは明治得意の山沢からインゴールにいる山村へのキックパスは無理だと思いましたが結果としてはやはり明早共そのようなパスは出ず、キックは高く上げバックスピンをかけてデッドラインを割らないようにしていました。

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 観衆5万7千人の中で14時30分キックオフで前半40分の試合が開始されました。明大は早々PGで早大(斎藤)に先制され、その後4トライを許しこれまでやってきたこと出せず0対31で前半を終了しました。前半後、田中澄憲監督から「後半は、1人1人がやるべきことをやっていないのでファンダメンタルをしっかり、ボールキャリアーが前に運んで欲しい」とのコメントがあったそうです。

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     (前半の雲山、トライにつなげられずも後半はトライを決める)

 後半は開始早々山村がトライを決め、早大にトライを奪われた後、箸本、山沢、山崎がトライを決めて明大の意地を見せ、その後早大に再度トライを奪われましたが、終了間近に雲山が後半5個目となるトライを決め後半は35対14でした。

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       (昨年FBからSOにコンバートした山沢のトライ)

 しかし前半の失った得点が大きく試合結果は35対45で早大の11年振り16回目の大学日本一許すことになりました。

 残念ながら我々は左サイドの席で、前半明治陣は右側で完璧に攻め込まれたので
我々の前で殆ど攻防はなく、後半はサイドが変わり早稲田陣が右側になったら明治が
圧倒的に攻め込み、これまた殆ど我々の前で試合をしませんでした。

 この試合は、中学時代から対戦してきた明大・山村(報徳学園)と早大・斎藤(桐蔭学園)の学生時代最後の試合でもあり、早大勝利で共に勝ち数が並び3月卒業することになりました。

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    (明大WTB 山村知也)          (早大SH 斎藤直人

 表彰式後、当支部応援者の目の前で早大の選手は全員が白いTシャツに着替え、大学選手権優勝の時だけ歌うことが許されている部歌「荒ぶる」を歌っています。

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 その間、明大チームは正面から時計回りに場内を回りすべてのファンに立ち止まって礼をしていましたが、正面左で早稲田が「荒ぶる」を歌っている後ろをうなだれて歩く姿は何とも寂しい限りでした。我々としてはは試合が終わればノーサイド精神が頭をよぎりますが、やはり「荒ぶる」を聞かされた”不運”と”屈辱”をしっかりと噛み締め来年のリベンジを誓いました。そのあとは3人で渋谷での残念会、帰りの電車の中もボックス席でつづきをやっています。

早大相良南海夫監督の談として「後半は明治が意地を出してくると思った。後半の40分もやってきたことを出し切って集中しようとだけ言い、笛が鳴るまでいくら点を取っても安心できなかった」

また明大田中監督の談として「早稲田は強かった。後半は反撃できたが前半がすべてだった」

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 なお後日談で、当日ダフ屋をあてにして新国立競技場まで行った“つわもの”がいましたが、チケットを入手できず、友人と飲んで帰り家でスカパーで後半だけ見て、やはり最初から全開していればとのコメントがありました。 

 

付記:昨年12月の明早ラグビー応援会の際に参加者に配布された資料の中に、明治と早稲田のラグビー部部歌の記述がありました。今回早大ラグビー部の「荒ぶる」が話題になりましたので、この機会に付記しておきます。

 

「明早両校ラグビー部の部歌について」 

明大ラグビー部の部歌“ルピコンの流れ”の歌詞を見ると、北島忠治監督を囲み岡野加穂留部長や部員が歌っているカセット映像が脳裏に浮かびます。岡野さんは当支部創立から深い縁のある方で学長を辞してから亡くなるまで当支部顧問に就任していただいていました。

 

1.明大ラグビー部の部歌 1926年に誕生しました。創部から4年目のことだったと記録があるそうです。

 

   ルピコンの流れ 勇姿を宿し 天山の嵐 将星をみがく

   知るや駿台 ラグビーの戦士 球蹴れば 空鳴り 球落つれば 地揺らぐ

   勝利は我にあり 勝利は我にあり 

バーシティー明治 バーシティー明治 バーシティー明治

 

ルビコン川は、イタリア中北部、ローマの北部を東西に流れる川で、紀元前49年のジュリアスシーザーがローマ内戦の時に、このルビコン川を南進し、レジスタンスとして立ち上がった話から、「ルビコン川を渡る」と言うのは、重大な決意の表れや後戻りできない決意のことです。

*天山の嵐~将星を磨くは天山山脈のことではないかと想像されます。天山山脈シルクロードに沿ったちょうど中国とキルギスカザフスタンの国境にあり、最高峰は7千メートルを超える。

*部歌の歌いだしから欧州~中国と来て、駿河台と繋がって行く。明治大学のグローバル度が伺えます。

*バーシティはvarsityのことで、代表チームとか一軍を表すが、varsity matchといえばOXフォード対ケンブリッジの試合のこと。いわゆる対抗(校)戦のこと。日本のvarsity matchといえば明治と早稲田の試合ではと思います。

 

2.早大ラグビー部の部歌 「北風」と「荒ぶる」の2つがあります。

「北風」

北風のただ中に 白雪踏んで 球蹴れば奮い立つ ラグビー早稲田

抜山の威力 蓋世の意気 男児の勢数あれど 

早稲田ラグビー ラララララ 早稲田ラグビー ラ

 

*北風に出てくる抜山蓋世という言葉は、中国の歴史書史記に記載され、日本でも項羽と劉邦でおなじみとなった項羽劉邦軍に四面楚歌作戦を取られ、敗退を覚悟した時に、虞美人に歌った垓下の歌の歌詞を引用している。項羽が自決して死んだのは、紀元前202年だ。ルビコン川の歴史よりも抜山蓋世の歴史の方が長い。

*垓下(がいか)の歌 : 力は山を抜き気は世を蓋う 時に利あらず騅(すい・愛馬)ゆかず 

騅のゆかざるをいかにすべき 虞や虞や汝をいかにせん

 

「荒ぶる」  作詞 小野田康一 作曲 早稲田大学音楽部

荒ぶる吹雪の 逆巻く中に  球蹴る我等は 銀塊砕く

早稲田のラグビーは 斯界になびき  いざゆけ我らが ラグビー早稲田

ララ早稲田 ララ早稲田   ララララ早稲田

 

*「荒ぶる」は1922年(大正11年)頃に試合前などに歌われる部歌「北風」に次ぐ第二部歌として作られた。作詞は早稲田OBの小野田康一氏(大正12年・卒)。戦後の混乱期は一時期忘れられていたのですが、1950年(昭和25年)度の主将であった松分光朗さんらが、ソプラノ歌手の三浦環氏に吹き込んでもらったレコードを小野田さんに聴かせてもらったところ、「早明戦に勝ったら歌おう」ということになり、試合前に練習して早明戦勝利後に歌ったことを契機として、大学日本一になったときのみに歌う伝統が生まれました。ちなみに歌の冒頭の「荒ぶる吹雪の逆巻くなかに」という一節は主将が単独で歌います。

そのときの最上級生のみ、冠婚葬祭のときにも歌うことが許される。それ故、優勝チームの下級生からは「自分の代でも荒ぶるを絶対歌います」という決意が異口同音に語られる。近年はフィールドに全部員・コーチ・OBが円陣を組み、主将の発声に続いて斉唱する。            

  • なお明治が野球の大学選手権で日本一になった時だけ歌う「神宮勝歌」という応援歌があります。昨年春全国優勝した時に選手と応援団が歌うのがテレビ中継されました。

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(新年特別寄稿) “逗葉の寅さん”こと渥美 清さん              - - - 豊田茂紀- - -

 昨年 足立支部長から、以前,逗子に明大OBでラグビー部員だった“逗葉の寅さん”こと渥美 清さんがおられた話を聞き10数年前の小文を見せてもらいました。小文は次のような内容でした。 

- - - 逗葉地区の明大卒業の最高齢者は逗子四丁目の渥美 清(S9年商専卆)さん、堀内の神谷美喜子(S9年女子商卒)さん、小坪七丁目の柴田四郎(S9年政経専卆)さんの三人の方かなと思われる。

 渥美 清さんは逗葉支部の活動には一度も参加されなかったがご自宅に伺い上がりこんで閑談したことがある。最初から逗葉支部への参加を希望されなかったので行事案内は届けられていないが、それでも幾度かマンドリンコンサート等案内が行ったはずだが当時郵送だったため返信がないままだった。その後郵送を手配りにしてから逗子市逗子の四丁目は私の受け持ち範囲となり渥美さん宅に届けることになった。

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 逗子小学校の裏門側にある木造の山小屋風の建物に奥様と二人で住んでおられ家の修理も自分でしておられるほど元気な方だった。ともかく中へ入れというので遠慮なく板の間の部屋に入ると直ぐ酒の一升瓶を持ってきてコップに注いでくれた。酒が健康の元のような方で脇で掘りコタツのような所に奥様がおられたが足が不自由らしく耳も遠いようで、渥美さんが奥様の世話をされているようだった。大学時代はラグビーをしていたとのことで昼間から酒を飲んでラグビーの話をして、また逗葉支部の活動等話した記憶がある。S9年卆なので入学したS5年(1929年)は北島忠治氏が監督なった年で以後4年間薫陶を受けたことになる。逗子開成延命寺の神田宜圓住職と一緒だったのでよく寺に行って話しをしているとのこと。また息子さんがテレビ局にいて新人女優の売り出しに今一生懸命になっているという話になりその女優の卵の写真を見せてくれた。帰りに黄色のTシャツを土産にもらっている。これは一度着たがサイズが合わなかったのでしまっておいたもので合えばやると言うので着ると丁度良く貰ってそのまま着て帰った。長い間の痕跡か一部よごれがありで妻が洗ったが取れなかったようだ。このため処分してしまったのを後で聞いたが後の祭で思い出の品も無くなってしまった。

 その後会報を届にいったがドアが板で斜めに打ち付けられていた。近所の人の話では奥様が亡くなられた後、鎌倉の息子さんの家に移られたとのことで逗葉地区の最高齢者は一人減ってしまった。- - -

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第30作“花も嵐も寅次郎”のマドンナ役は田中裕子さん (明大卒)でした。

f:id:meijizuyou:20200102204515j:plain 渥美 清 演じる“寅さん”

    ( 渥美 清さんは風天の俳号を持ち、『ただひとり 風の音聞く 大晦日

  の句を残しています。- - - 風天 渥美清の歌- - - より)*西山さん情報

 

 私は高等学校のラグビー部監督をしていたこともあり、この話を右から左に聞き流してしまうわけにはいかないので、手元にある「ラグビー早明戦80年」(ベースボール・マガジン社)で調べてみた。 

 第10回、通算早稲田6勝 明治4勝の個所に渥美さんが出場した記録がありました。東京帝大と東京商科大の2試合に14番右のウイングとしてです。 

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 試合経過はありませんがスコアでは渥美さんが東京帝大戦で1トライを上げています。当時のトライ点数は今とは異なります。6人が14トライ(1人がNO8,それ以外の5人はすべてバックス)で上げています。64vs5で明治が東京帝大を、同じく89vs0で東京商科大を破っていますが、この試合のトライが記録されていません。

  当時の明治の部員は約80人で現在のように負傷交代とか戦術交代はありませんでした。負傷退場すればその分、少ないメンバーで戦う時代でした。リザーブの選手を置くようになったのは明早戦で言えば1976年の第52回からです。通算10回目の明早戦が戦われた1932年(S7)年、公式戦13試合に出場した部員は19名だけですから渥美清氏が早稲田戦や慶応戦に出場されていなくとも素晴しいと思います。

 公式戦13試合とは五大学リーグ戦(慶応・早稲田・東京帝大・明治・立教)4試合とそのほかに明治が戦ったのは東北帝大・法政・日本・文理大(東京文理科大=現・筑波大)・東京商科大(現・一橋大)でした。さらに関西の京都帝大・同志社立命館と東西大学対抗戦を戦い、もう一つ学士クラブ(どういう組織か不明)とその前年を含めて同クラブと二戦していますが、その前後をみてもこれだけ。なお同クラブと早稲田は一戦もしていない)。2年後、五大学リーグは、力を付けてきた法政大・東京商科大を含めて7大リーグとなりました。渥美 清さんはこの年3年生とありますが1年、2年・4年次に、出場試合はありませんでした。出身中学も対早稲田戦のメンバーについては1名を除いて記録がありますが他の試合についてはありませんでした。「ラグビー早明戦80年」(臙脂と紫紺の記録)だからでしょう。渥美 清さんは明早戦が大変な人気を呼び始めた頃の部員だったのです。

●●● S7年主将は逗子と同じ呼称の都志(づし)悌二氏でした。都志主将は岡山県倉敷市出身で昨年暮れ明大マンドリンコンサートの義援金を伊東香織倉敷市長にお渡ししたことが頭をよぎります。インターネットに偶然にも都志悌二「敵陣深く紫紺の軌跡」と題しS7年の試合が残されていて豊田さんの指摘の試合の出場メンバーも載っていました。渥美 清さんの名もあります。●●●- 

 また「ラグビー早明戦全記録 日本ラグビーの華 早明戦60年の熱闘譜」(ベースボール・マガジン社)に次の記載があるので紹介しておきます。

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            ( 渥美 清さんが出場した65,000人収容の神宮外苑競技場 )

(昭和7年)12月4日- - - 早稲田は同じく全勝の明治と天下分け目の対決を迎えた。神宮競技場は満員札止め。新聞は史上最高の4万人と報じた。- - -(ここから試合経過が詳しく述べられている)- - -この日、神宮球場は11時開門会前から延々長蛇の列。秩父、高松両宮、同妃、竹田、北白川両宮がご観戦になり、リンドレー英国大使なども列席。「メイジ」「ワセダ」の叫びがわきおこり「拍手以外の声援お断り」というラグビーの不文律も破られるほどの熱狂振りであった- - - 。 

 当日のキックオフは翌日の東京朝日新聞(「朝日新聞で見る ラグビー早明戦の歴史」2002年11月発行)によれば「四日午後二時三十五分」であり、3時間以上も前から4万人の観衆が押し掛けたとなっています。当時の両校の学生総数を大きく超え、またスポーツへの関心度、メディアの発達度、競技場へのアクセスを考慮すれば社会全体の注目度は現在の比ではないと言ってよいでしょう。ラグビー発祥の地、英国駐日大使が観戦したなどは他にあったのでしょうか。

 *逗葉の寅さんが観た明早戦

 1年生時 (昭和5年)ミスもあり得点なく後半29分を迎えた。ここで⑨松原の左にパント、⑪鳥羽が球を捕らえ、相手FBのディフェンスは手先が触れただけでライン際を走り抜け中央にトライ。⑦知葉のコンバージョン決まり5-0と早大を無得点に抑えて対早大連勝を飾る。

 2年生時(昭和6年)明大は東大戦を残すものの史上初の全勝対決となった。明大は前半10-0とリード。後半早大は英国の国際試合のような深いTBラインで臨んだが、「ゆさぶり戦法」は未完成で、BK長尾、知葉がトライを上げたものの強力な明大FWの前に33-8と圧倒された。特に笠原のキックは威力を発揮。明大は、東大、京大も破り初の全国一。

 3年生時(昭和7年)2年連続の全勝対決、第一次明早時代の到来。新聞の展望記事では、明大について「超人的馬力を発揮して東西の大学を押しまくり、名FB笠原がヴェルダン要塞の如く不落の堅陣を張っている」と評した。試合は明大が後半10分、岡のトライで12-13と1点差に迫ったところで最高潮を迎えた。10分後早大林が右中間に独走トライ、以後1トライ1PGを加えられ12-24で5年振りに早大に敗れた。早大は関東初制覇。

 4年生時(昭和8年)関東五大学は、昨年の東京商大、法大の躍進で、二大学を加え七大学リーグとして覇権を争うことになった。明慶戦が予定されていた1112日に皇室の葬儀が行われるため延期され、早大の最終戦が明大のシーズン3試合目という変則日程となった。6-8で早大に連敗した。

    明治は早稲田と正式な定期船を組むようになった大正12年(1923年)から5年間は全敗。昭和3年から4戦4勝。そして迎えたのが人気を呼んだ第10回目の明早戦だった訳です。 

 明大ラグビー部は昨年大学選手権で日本一になり、その後も好調を続けシーズン終盤の慶大、帝京大早大の3試合で計3トライしか許さずに秩父宮での最後と思われる明早戦を締めくくっています。

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 新たな年を迎え大学日本一連覇を願うと共に、昨年暮れ映画「男はつらいよ お帰り 寅さん」が上映となり、また新年早々、NHKのBSプレミアム「贋作(がんさく)男はつらいよ」が1月5日〈日)20時から始まることもあって“逗葉の寅さん”ことラグビー部OBの渥美清さんにつきブログ掲載しました。 

 昭和7年明大ラグビー部員として神宮外苑競技場に出場していた渥美 清さんは、新国立競技場や今の明早戦を観たらどう思うのでしょうか。 

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                    (2019年12月21日開場式前の新国立競技場を背に)

      - - -  寅さんのタ行で始まるのは田澤さん(前列右端)のみ  - - -

 大学日本一を決める 第56回大会決勝は2020年1月11日(土)に新国立競技場で行われると発表されています。明治・早稲田が 勝ち上がり決勝対決が実現しました。明治は3季連続で決勝進出し2連覇に王手をかけ、また23年振りの明早戦決着となっています。伝統ある明早戦の楽しみがまた増えました。 

 記事の一部分(●●●部分)は足立支部長に追記していただきました。 (豊田)

 

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今年は熱海で一泊忘年会を行いました

 毎年恒例になった一泊忘年会は、12月8日(日)~9日(月)の日程で熱海の「大野屋」で行いました。大野屋は北は北海道から南は滋賀県まで展開する伊藤園グループですが、“伊藤園ホテルズ”の別格の熱海の4つのホテルの“伊藤園リゾート”の一つ「ホテル大野屋」です。

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 8日夜は12月に2度しか行われないという海上花火大会の日でした。8日は逗子駅に12時30分に集合。大船駅を出るとしばらくして中山さんが当日用意したお酒やつまみを配って車中懇親の場となる予定でしたが、乗客が多く、暫く立っている参加者もいてささやかな車中懇親にならざるを得ませんでした。熱海駅に付きホテルへの送迎バスが丁度出た後だったので、それほど遠くないとの言葉が出てホテル迄歩くことになりましたが、かなりありました。しかし駅から熱海の繁華街を見て海沿いの道のウオーキングは高齢者同士歩みも遅く疲れた方はおられませんでした。電車組は幹事の中山、川﨑、菅野に足立、林、綾部、小川、西山、石渡、日向、山村の11名で現地直行組が三武、根岸、鈴木達、田澤、下里の5名、参加者は合計16名でした。

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 ホテルはやはり花火大会の影響か大勢の客がいて、当初一泊忘年式をしてからバイキングの夕食の予定でしたが変更して夕食が先になり、到着後4部屋に分かれ荷物を置いた後にロビーで浴衣を選んで部屋に戻り。着替えてまずローマ風呂に浸かっています。

 

 ホテル大野屋のローマ風呂はその広さ約250畳分で一度に約300人入ることができ4本の自家源泉が注ぐことで昔から有名です。実際入って古代ローマ帝国を偲ばせるローマ皇帝の彫像とその他四隅の女性像を見ながら窓のない大浴場で日頃の疲れを癒しました。

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 入浴後夕食のバイキング場に行くと長い行列が出来ていてまず驚きました。約100種類あるという和洋中の料理・デザートと飲み放題でしたが年を考えそうは食べられませんが皆食べ物はまちまちでも数度取りに行っています。我々16名分の席が指定されていましたので19:00~20:30の宴会を兼ねることが出来ました。食事を終えてバイキング場を出ると次の入場者が列を作って待っていたのにはまた驚きで時間で入替でした。花火大会の日でもあり特別に客が多かったように感じられました。

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  (小川さん 会報1月1日号に間に合わせるためスマホで撮影し送っています)

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        (会報1月1日号の一泊忘年会に採用した写真)

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 夕食後、幹事部屋に集まり形式的な忘年式を行いましたが、11月にマンドリンコンサートが成功裏に終了した話題が中心で、毎年忘年会つきものの幹事長からのこの1年間の行事コメントは省略でした。幹事部屋の窓を揺るがす音で花火大会が始まり、べランダに出ると右方向すぐそばで花火が上がるのが見え暫し観賞しました。

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 この一年はマンドリンコンサートもあり、皆さんご苦労様でした。(足立支部長)

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 熱海海上花火大会は、1952年(昭和27年)にはじまった歴史ある花火大会。夏だけではなく年間を通して10回以上も開催されている熱海名物です。会場である熱海湾は、3面を山に囲まれた「すり鉢」状の地形のため、海で上げる花火の音が反響し、 大きなスタジアムのような音響効果があり花火業者さんも絶賛する花火打上会場です。

しかし逗子海岸の素晴しい花火を見ているせいか会話に熱中し、花火は音だけ聞いていたというのが本音のようでした。

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 散会した後に数人で暫くぶりに参加した下里さんを囲んで葉山に明大ヨット部合宿所が出来た裏話に耳を傾け寝たのは2時を過ぎていました。“夜更けて語り合い時間を忘れる”という一泊忘年会の良い面は今年も継続されました。

 翌日は朝7時の朝食前に屋上の露天風呂に浸かり、海を見ながら大阪から来たという方と“熱海の良さ”について閑談しています。

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 朝食バイキングを済ませホテルで解散となりましたが、一部の参加者は帰路に紅葉を訪ねて姫の沢公園に寄ることになりました。

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 送迎バスで熱海駅まで出てここから元箱根・十国峠方面バスで25分程旅情を楽しみ、日本の都市公園100選の指定公園でもある姫の沢公園に付きました。

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 丁度モミジの紅葉が見頃でした。また花の名所で知られていますが、さすがに12月初旬で花は少ないなかにも山茶花、つわぶき、小福桜の花などを観賞しました。

 小田原に出て“多留満料理店”で昼食を取り“まると”で土産を買って帰路に付きました。

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            店頭の左で微笑んでる相方の《お多福像》賽銭箱が追加されてただじ。

    貯まったお賽銭は、京都のおかめ寺《千本釈迦堂大報恩寺》へ奉納されるそうだじ。

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 天気も前日に続いて恵まれ、歩く会のイベントを兼ねていましたが、両日とも会話に新年の期待と希望が出ていたのは忘年会に相応しく思われました。

 

         

令和最初の明早ラグビー観戦会を実施しました

 今年は平成10年に明早ラグビー観戦会を開始して以来、連続第22回目の観戦会となりました。秩父宮ラグビー場は6年目で参加者は足立、小川、小見、金井、川﨑、河辺、佐藤、菅野、鈴木達、砂山、砂山(孫)、田澤、中山、西之原、西山、根岸、馬場、三武、山村、吉岡の20名でした。

 今回は入場券確保が難しい中、砂山さんに入場券20枚確保していただきました。 

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 昨年は両校5勝1負で並んで対戦でしたが惜敗でした。令和初、それも両校25年ぶりの6戦全勝対決ということで、今年の観戦会は校友会逗子葉山地域支部旗を初めて持参しました。 帝京大戦の結果から雪辱間違い無しの思いもあって勝利の後、会場に詰め掛けた明大応援団に逗子葉山地域支部を大宣伝する意味もありました。

  第1回観戦会の平成10年(1998年)は早稲田に勝利し全勝優勝した年であり、今年は21年振りの単独優勝の再現を大きく期待していましたので、毎年参加者に配布する資料には明早ラグビー部の部歌(明大・ルピコンの流れ、早大・北風と荒ぶる)の歌詞と解説を掲載しました。 

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 早稲田は25年前の対決で明治に負けているためその時の雪辱と昨年に続き連勝の意味合いもあったのですが、結果は明治の安心した勝利で終わりました。当支部で持っている1本の軸に明治、早稲田両校の応援旗を付けた旗を翻してノーサイドを現わしたのも初めてでした。明大応援団の群衆の中で良かったのかは判りませんが、伝統ある明早ラグビー試合ということでご理解をお願いしたい。明大のWTB山村(兵庫の報徳)と早稲田のSH主将斎藤(横浜の桐蔭)は中学時代からのライバルでプライベートでも仲が良いとのこと。まして東福岡のように同じ高校から明早に分かれた進んだ選手もいるのでお互いの切磋琢磨を期待したいと思います。

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 今年はワールドカップがあり、今でも明大卒の田村優の正確なキックと共に帝京大卒の姫野和樹のプレーで有名になったジャッカルが印象に残っていましたが、やはりOBの田村は後輩の応援に来て放映のゲスト役でした。

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               (試合前の練習)

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               (キックオフ)

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                 (後半開始)

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        (ロスタイムでの山村のトライ後、ゴールを狙う)

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      (21年前の第1回観戦会と同じく全勝単独優勝を祝す)

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 以下試合内容は「応援会参加者」と「テレビ観戦者」2者の記事です。

 

―2019年明早ラグビー応援会に参加―

 今年も伝統の明早戦応援に総勢20人で、秩父宮に向かった。キックオフは午後2時だが2時間前に到着、前日の 11月30日に完成した新国立競技場やオリンピック ミュージアムなどを見学し、 1時間前に入場した。25年ぶりの全勝対決とワールドカップの余韻もあってスタンドは超満員となった。試合は36対7で明治が完勝、4年ぶり17度目の対抗戦優勝を果たした。

 序盤は早大のテンポの速い攻撃で自陣に攻め込まれたが17分、展開からロック箸本が相手を引きずりながら先制トライ、山沢のPGで10対7とリードして折り返した。後半はFW戦で優位に立ちフッカー武井主将の2トライなどで早大を無得点に抑えた。箸本は守備でも再三のジャッカルでピンチを救った。 因みに彼は試合後「MAN OF THE MATCH」に選ばれインタビューで選手権での優勝を誓っていた。

 田中監督は「FWにこだわるのはメイジのDNAのようなもの」と言っているが最近の明治はFWがバックスの位置、またバックスがFWの位置にいても同じプレーができる。 これが守備でも生きて、シーズン終盤の慶大、帝京大早大の3試合で計3トライしか許していない。 正に「ニューメイジ」のスタイルが出来つつある。早大は‘07年以来の全勝優勝と対抗戦2連覇の夢を粉砕された。大学選手権は、順当に行けば準決勝で明治は東海大、早稲田は天理大との対決となり、両校勝ち進めば1月11日の新国立競技場での決勝は再び明早戦となる。武井主将は春先から「昨年は昨年のチーム、今年のチームで日本一なって進化を体現する。準備ではなく、成長することが大事」と言っている。大学選手権優勝ならば14度目、‘96年以来の連覇となる。 (小川)

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   (一緒になった町田地域支部 女性部長 淀静香さんと青年部長 淀義明さん)

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―2019年ラグビー明早戦をNHKTⅤ観戦―

Jスポーツで録画し2度観ました。スポーツ2紙を含む4紙は、いずれも快勝、完勝といった感じの記事でした。しかし。幾つか気になるプレーもありました。

1.前半11分から約4分間のスクラム。4回組み直しましたが最初の2回は明治3番のコブラシングを取られても不思議ではありません。レフリーが3番側に居たら取っていたでしょう。さすがに修正しましたが上半身が伸び切っていました。足の位置が後ろ過ぎたと思いました。5度目にフリーキックを得ましたがスクラム選択は賢かったですね。6度目のスクラムで早稲田のコブラシング。タッチに蹴り出してラインアウトボールを獲得。そのままフェーズを連続、5番のトライに実りました。教科書に載っているようなトライでしたね。

2.後半、明治がスクラム3度もコブラシングを取られたのは修正の余地が充分にあります。

3.明治はボールをよくバックスまで回していました。11番、14番、15番もよく絡み、また前に運びました、早稲田は15番が殆どボールに触れずにおわったのではないでしょうか。15番の父親は明治のロックで明早戦に3回出ています。その息子は昨年の試合と大学選手権準決勝でいきなり2度もトライを取られたのですが、今年は仕事をさせませんでした。これは大きい。

4.後半ロスタイムで粘ってトライを取ったのは素晴らしいことでした。昔は無かったことです。

5.早稲田は主力を2人故障で欠きましたので、戻ってきてからの大学決勝を油断せずに戦って欲しいものです。(豊田)

 

補足:

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 明早戦のNHK録画を見直していたらロスタイム最後の山村のトライ直後の場面にスタンドが映り、皆さんの歓喜の様子が放送されていました。ほんの1,2秒でしたが一時停止にして写真を撮りましたので送付します。拡大してみてください。
 写真右上の15番ゲートの少し左下にまず砂山さんがこれ以上ない笑顔で映っていて隣にお孫さん、以下敬称略、その隣に菅野友人佐藤、菅野、1列上斜め左に小川、河辺、西之原,三武、オレンジのジャンバーで万歳をしている中山、一番左に目の前で山村のトライを見た山村、と確認できます。(他の人は良く見えません、ご自分でご確認を・・)砂山さんの少し右に席番は違いますが根岸さんのように見える人がいます。
 録画残している方は、トライ直後に15番ゲートが映るのでそこで止めて見てみて下さい。                               小川

 

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