このブログは、5月連休明けに掲載予定でしたが、新型コロナウイルス感染拡大をくい止めるために東京、埼玉、千葉、神奈川の一都三県共同キャンペーンとして4月25日~5月6日迄をSTAY HOME週刊 ≪あなたの命を 家族を 大切な人を 社会を守るため 大型連休の外出を自粛 STAY HOMEウチで過ごそう≫として位置づけされましたので執筆者の了解のもと(未完のため)急きょ暫定掲載していました。
東京、埼玉、千葉、神奈川で展開
大型連休中ベートーヴェンを含むLPレコードやCD等で家でゆったりと音楽を楽しんでもらえればとの思いでした。連休明け7日に新たな記事・写真を追加し完結しています。改めて見て頂ければと思ます。
2020-5-7 支部長
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4月15日足立支部長から、電話とFAXで当支部ブログに「(仮題)ベートーヴェン生誕250年に思う」の記事依頼がある。2月役員会でも今年がベートーヴェン生誕250年にあたりクラシック鑑賞クラブで取り上げたらとの話も出ていた。FAXには下記が記されていた。
『先日4月12日(日)朝シューベルトの『楽興の時』第3番で始まるNHKラジオ<音楽の泉>で曲が流れているのを聞きました。ベートーヴェンの有名なヴァイオリン・ソナタ第5番「春」で、そういえば今年はベートーヴェン生誕250年にあたるのでクラシック鑑賞クラブで鑑賞の話も役員会で出ていたことを思い出しました。
いつも解説している皆川達夫さんの声と違うような気がしていましたが、アナウンサーから解説は奥田佳道さんとの説明でした。NHKテレビの漢詩紀行朗読終了後も続いていた声が心地よかったNHK元アナ広瀬修子さんの「音楽の泉 お話は皆川達夫さんでした」は聞かれなくなってしまいました。調べたところ皆川さんは3月29日(日)バッハ/無伴奏ヴァイオリン曲(ヘンリク・シェリングの名演奏)の解説を最後に、奥田さんに代わっていました。
音楽評論家の奥田さんは知りませんでしたが、立教大学でグリークラブを40年近く指揮した皆川達夫教授の西洋音楽史を学んだ師弟の間柄のようです。上記余談になりまたが、当面支部行事も新型コロナウイルスの影響で開催中止なので是非寄稿をお願い致します。』
鑑賞会で 堀内敬三著『音楽の泉』を見る 解説者 皆川達夫さん
勿論、即了解した。昨年はマンドリンコンサート準備で参加者が忙しく、また耳が遠くなったこともあり隔月開催していた我が家でのクラシック鑑賞会は1年程中止になっていて、ブログ掲載は有難い話だった。これまでも開催毎に当日の配布資料を作成して参加者に配ってきたのでベートーヴェンの集約資料をの思いで作るつくることにした。
ベートーヴェンはバレ音楽も2作品作っていた (この映像は別)
作曲家のベートーヴェンがドイツのボン市で1770年に生まれて、今年で250年になる。これを契機に彼の曲を改めて深く聴き直すのには良い機会であるかもしれない。しかし残念なことに「新型コロナウイルス」禍のため音楽会が開催されないため、ベートーヴェンの曲のコンサートやリサイタルは全く行われない。ベートーヴェンはこのウイルス禍を草葉の陰で歎いていることだろう。
ベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」や第5番「運命」はクラシック音楽の入門の曲であり、多くの人々の知るものである。この第3番「英雄」の楽譜の表紙には「ナポレオンに献呈する」との文章が書き添えられていたが、ナポレオンが後に皇帝になったのを失望したベートーヴェンは、この文章をペンで罫線を引いて抹消している。それ故、本当は「第3番」は「英雄」ではないのではないか。
そして、遺書(ハイリゲンシュタットの遺書)を書いているように、かれの生涯は決して明るいものではなかった。特に彼の晩年は耳の難聴に苦しんだ。作曲家にとり耳が聞こえないことは致命的な打撃である。彼はこの難聴を直すために種々と手立てを尽くし苦闘している。
ベートーヴェンが弟カールの遺児カールと弟ヨーハンに残した手紙。数日後に「歓喜と澄みきった一日を一度は私に見せて下さい。」と祈りの言葉を添えている。
だが、彼はその苦難を逆手にとり、その難聴のなかで、すばらしい曲を生み出している。それらは晩年に作曲した室内楽、つまり弦楽四重奏曲やピアノやヴァイオリンのソナタなどである。そのなかで特に弦楽四重奏曲の「第15番イ短調」と「第16番へ長調」とがすばらしい。この2曲は聴くのが難解ではあるが、ベートーヴェンの心の苦渋を深く理解するためにも、この生誕250年のこの時には、ぜひとも聞いて欲しい曲である。
さてベートーヴェンの交響曲はそれらを演奏する指揮者により、その趣、感想が全く違ってくる。例えばフルトヴェングラーとカラヤンとの演奏は全く異なる。それ故、フルトヴェングラー・ファンはカラヤンが大嫌いである。しかし、私はカラヤンの生演奏(なまえんそう=録音ではなく実際の演奏)を、彼が初めて単身で来日して、NHK交響楽団を指揮したのを初め、その後のベルリン交響楽団を引き連れて来日する度に、すべての生の演奏を聞いているためか、彼の演奏に深い親しみを抱いている。カラヤンは女流クラリネット奏者のザビーネ・マイヤーをベルリン・フィルに推挙したのを、楽団員から拒否されてから、遂に楽団員たちからカラヤンのベルリン・フィルの終身指揮者の地位を降ろされてしまい、ソニーの大賀社長のみに看取られて寂しく世を去ることになる。このためか、カラヤン嫌いが多いのかもしれないが、私の場合、先述したようにカラヤンの生演奏を多く聞いてきているためか、彼は好きな指揮者の一人である。彼の生演奏は迫力と溌剌としたもので、私は彼の指揮するベートーヴェンの交響曲は、今でもありありと脳裏に浮かんでくる。
ヘルベルト・フォン・カラヤン 第九を指揮する大賀典雄氏
私はフルトヴェングラーも好きな指揮者であるが、彼の生演奏は聞いたことがない。熱烈なフルトヴェングラー・ファンでも、彼の生演奏を聞いている人は殆どいないのではないか。往年の演奏家の好悪の判断は録音(CD)に依るしかない。が、私のカラヤンからの体験から思うには、生演奏を聞くことで、印象がガラット変わることはあるのではないか。そこで、このベートーヴェン生誕250年のこの際に、彼の交響曲や室内楽を、生の演奏で聞く機会にしてみてはどうだろうか。ベートーヴェンの音楽にたいする感激・印象が変わるかもしれない。
以下「クラシック鑑賞会」で取り上げた際の資料等からベートーヴェンに関する部分を抜粋して記すことにする。
第4回 平成25年3月31日 テーマ「ベートーヴェン」
1770年ドイツのボンに生まれ1827年56歳で生涯を終える。終生結婚しなかったがそれは愛した女性が全部貴族の出身で身分の違いに原因があったためなどという。オーケストラの指揮者はベートーヴェンの交響曲の指揮で評価されるようである。
交響曲 第1番~第9番(第3番「英雄」、第5番「運命」、第6番「田園」、第9番「合唱付き」)のさわりを聴いた。第5番「運命」では、出だしのいわゆる「運命が扉をたたく」というモチーフの曲のところを、フルトヴェングラー、ブルーノ・ワルター、トスカニーニやカラヤンなどの指揮者が演奏した各々のCDで聴き比べをした。
その他、弦楽四重奏曲やピアノ協奏曲、ヴァイオリン協奏曲等も聴いている。
第5回 平成25年7月28日 テーマ「ブラームス」
ブラームスはベートーヴェンを崇拝して部屋にベートーヴェンの像を飾っていた。
ベートーヴェンの作風を最もよく継いでいるのは、ブラームスであると言われ, 「作曲中絶えず背後に巨人の足音を聴いていた」彼の交響曲第1番の作曲時の心境を伝えるこの言葉は余りにも有名である。
第9回 平成26年4月27日 テーマ「シューベルト」
シューベルトが最も尊敬し目標にしたのはベートーヴェンである。シューベルトが生まれた時、ベートーヴェンは27歳。既にウィーンで演奏活動をしていた。11歳で神学校の寄宿生になった頃は、次々と交響曲を発表し、寄宿生にとっては憧れの的であった。かつてベートーヴェンを教えた宮廷楽長のサリエリからはとくに熱心に学んだ。
ベートーヴェンが死去した際葬儀に参列したシューベルトはその後仲間と酒場に行って「この中で最も早く死ぬ奴に乾杯」と音頭をとり、翌年自ら31歳の若さで亡くなった。ヴェーリング墓地のベートーヴェンの墓の右隣に埋葬され、二人の遺体は後にウイーン中央墓地に移された。部員の林さんと斎藤女史は訪ねたと聞いている。
ヴェーリング墓地は今シューベルト公園になっているが二人の墓石は残されている。
ヴェーリング墓地 ウイーン中央墓地
べートーヴェンの家 使用していた78鍵 ピアノ
第12回 平成26年10月26日 テーマ「リスト」
12歳のリストが演奏する会場に居合わせたベートーヴェンは少年リストを抱いて額にキスを与えた。天才的なピアニストだったリストはベートーヴェンの交響曲をピアノ曲に編曲している。
リスト
第15回 平成27年4年26日 テーマ「ワグナー」
ワグナーはウェーバーから強い影響を受けたが15歳の時にベートーヴェンに感動を受けて音楽家を志した。また当時演奏されることが少なかったベートーヴェンの『第九』の演奏会を成功させ、以後『第九』は名曲として評価されることとなった。
ワグナー
第17回 平成27年8月16日 テーマ「マーラー」
マーラーの弟子のブルーノ・ワルター指揮ベートーヴェンの交響曲第6番へ長調「田園」を聴いた。ワルターはステレオレコードが出現した時代まで生存していたため所有のコロンビア交響楽団ワルター指揮LPを懸けての鑑賞だった。
第25回 平成29年1月28日 テーマ「ピアノ曲」
ベートーヴェンは、その時々に使っていたピアノの鍵盤(61鍵~73鍵)を目いっぱい使って作曲したと言われ、ピアノ作品は、そのままピアノの歴史と言っても過言ではない。現在の88鍵ピアノはベートーヴェンやリストの時代にはまだ無かった。ベートーヴェンには多くのソナタ(悲愴、月光等)が有名で、また5つの協奏曲(第5番「皇帝」等)も聴いている。
第26回 平成29年3月25日 テーマ「ヴァイオリン曲」
著名な作曲家はヴァイオリニストを除きヴァイオリン協奏曲は1曲しか作っていない。同年代のヴァイオリニストの名手に意見を聞いたり依頼されて作曲しているので演奏としてはハイレベルの技術がいるということで良い音が出やすいニ長調で作られることが多い。ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲はヴァイオリニストのヘランツ・クレメントの助言を入れて作曲、クレメントの演奏は素晴らしいものであったがその後演奏されることも無く忘れられていた。ブラームスの親友ヴァイオリニストのヨーゼム・ヨアヒムが再び取り上げ『ヴァイオリン協奏曲の王者』と呼ばれるまでの知名度を与えた
ヨーゼム・ヨアヒム
第28回 平成29年7月29日 テーマ「よく知られた交響曲」
ベートーヴェンの交響曲は指揮する指揮者の良し悪しや好悪で判断されるようだ。
第6番「田園」だと指揮者のブルーノ・ワルターの指揮が、第7番はクライバーの指揮が、また第9番「合唱付き」ではフルトヴェングラーが最高といった具合である。
ブルーノ・ワルター 第6番「田園」
カルロス・クライバー 第7番
フルトヴェングラー 第9番「合唱付き」
第32回 平成30年3月28日 テーマ「名曲と名演奏家」
現在ショパンを弾くピアニストは多いが、彼らはベートーヴェンのピアノ曲はあまり演奏しない。ベートーヴェンのピアノ曲を演奏する著名なピアニストはロシアのエミール・ギレリスやスヴャストスラフ・リヒテル、イタリアのマウリツィオ・ポリーニ(彼はショパンも演奏)やドイツのアルフレッド・ブレンデル等々である。
ベートーヴェンのピアノ・ソナタの中から ピアノ:エミール・ギレリスを聴いた。
***明治大学校友会のブログなのでやはり明治大学専門部文芸科で学んだ
『五味康祐氏とベートーヴェン』について述べておきたい。***
五味康祐は剣豪作家となる前、極貧のため妻とも別居しルンペン同様の放浪生活をしていたが彼を支えたのは『新潮社』の怪物編集者斎藤十一氏だった。度々斎藤氏宅でLPレコードを聞かせてもらい、これが芥川賞受賞後、収入多大になってから豪邸を新築した際、タンノイ・オートグラフという英国製のオーディオマニア垂涎の高価なスピーカーを購入し、大型のオーディオ装置を30畳の部屋に設置している。
(週刊『新潮』のグラビアに掲載)
クラシック音楽に造詣深く、晩年入院先の病室に持ち込まれたオーディオ装置とヘッドフォンを使って、五味が最後に聴いたレコードは、ベートーヴェンのピアノソナタ
第32番作品111だった。また生前、五味は「私が死ぬとき、もし、天候に異変があったら、わたしはベートーヴェンのもとに往くのだ、そう思ってくれと家内に言ってある」と語っている。
五味康祐氏は鎌倉建長寺の回春院に眠っているので新型コロナウイルス感染が収束した暁には今年是非訪ねて共にベートーヴェンについて語り合っていただきたい。
( S28商卒 柳生 浩 )
モーツアルトの生誕地でもあるザルツブルグのカラヤンの家で最後を看取った大賀さんは「いい音を聞くには平行壁面があってはいけない」と言って軽井沢に正五角形の大賀ホールを作ったことでも知られていますが、逗子の披露山庭園住宅(トンネルの上近く)に家があり、大崎公園を散策することもありました。偶然出会って会話した部員もいましたが柳生さんの奥様は大賀夫人の緑さんと絵画の関係で顔見知りとのことです。また大賀さんをソニーに誘った創業者盛田昭夫さんも逗子にあった海軍施設の縁で逗子に一時住まわれていました。
追記2:皆川達夫さん訃報
この4月19日、92歳で3月までNHKラジオ「音楽の泉」を12年に亘り解説されていた皆川達夫さんが亡くなられました。心よりご冥福をお祈りいたします。
逗葉駿台会クラシック鑑賞クラブ