明治大学校友会逗子葉山地域支部ホームページⅡ

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正月は箱根駅伝とラグビー大学選手権の応援でした

1.明大は箱根駅伝予選会と決別

 昨年10月26日(土)の昭和記念公園での箱根駅伝予選会に西山、綾部、川﨑、小川、中山、根岸の6名が応援に駆け付けました。平成28年正月の箱根駅伝14位と8年振りのシード権落ち以来、4年連続予選会に回っていましたが東京国際大、神奈川大、日本体育大に次いで4位となり本戦出場を決めました。

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 昨年の予選会では筑波大が6位で26年振りに本戦出場を果たしたことと、名門の早大9位、中央大10位とかろうじて予選会通過だったのが印象に残った結果でした。

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 翌日開催された明大のホームカミングデーで山本佑樹駅伝監督からは「予選会は出たくない、スケジュール調整が大変」という強い意思表示の挨拶があったそうで、出席した西山、小川両会員も「明大は箱根駅伝予選会と決別」と受け止めたようです。確かに予選会のあと行われた全日本大学駅伝熱田神宮伊勢神宮)は15位と低迷でした。

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   ( ホームカミングデーで)    (2018年4月監督就任で今年の駅伝2回目)

 1月2日と3日は毎年恒例の箱根駅伝応援会で朝9時にJR逗子駅集合、藤沢地域支部の応援場所である南仲町交差点に合流して応援しました。なんと言っても東海大青山学院大東洋大、駒沢大、国学院大の上位5校は不動で前回5位の帝京大がどこまで頑張るかという状況の中、明大の今年の目標は良くて6位、最悪でもシード権は確保することでした。今年の1年生が4年生になるまでに3位以内に入り、第100回箱根駅伝迄には優勝する決意で臨んで欲しいと願っています。唯し他校は合宿所、グランドなどの設備が格段に良く有望な新人獲得に力を注いでいるのでこの面でも難しい環境ですが、山本監督からは「来年は有望な選手が入部する」と話が出ているそうです。

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 初日2日の往路エントリーは1区小袖(3年)、2区加藤(1年)、3区小澤(1年)、4区金橋(2年)5区鈴木(2年)でしたが、藤沢に来る3区は手嶋(2年)に変わっていました。1区2区とも10位で3区につなげ手嶋が順位を3つ挙げて7位、4区では9位で5区の山登りにタスキを渡しました。これまで明大は小田原迄は良くても山登りの5区で順位を大幅に落していましたが2年の鈴木が何と4つ上げて往路5位でテープを切りました。悪くてもシード権確保を願っていたので出来すぎの感があり、復路阿部(4年)を残しているので3日は期待も膨らみました。

 復路の当初のエントリーは6区坂井(3年)、7区村上(3年)、8区酒井(3年)、9区三輪(4年)、10区前田(3年)でしたが、全員変更になりました。山田監督が5位以内への思いを強くしたのではと思います。6区前田は5位をキープ、6区阿部は区間新で4位に上げ、8区櫛田(1年)が藤沢の応援場所に来てそのまま4位で9区村上につなげています。

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              (8区 藤沢の応援場所を通過する1年櫛田君)

 応援から逗子に戻り千登世寿司のテレビで最終の10区迄見て応援でした。村上も4位で10区河村(4年)に後を託しました。最終ランナーは他校とも強力選手を選んでいて1位青山学院大、2位東海大の順位は確定も3位から6位までが東京国際大、明大、国学院大、帝京大の4校がしのぎを削る状況となりました。結果は3位国学院大、4位は区間新を出して帝京大となり、5位東京国際大、6位明大となりましたが、3位との差は26秒で、往路9位だった早大は順位を上げて7位となりましたが、明大との差は2分57秒ありました。結果的に良くて6位の目標通りでしたが、あわよくば3位にも入れた状況でしたので出来過ぎの感がありました。

 予選会では4年生の故障で後輩が頑張ったことが良い結果を生んだようです。今年出場した選手は4年2名、3年3名、2年3名、1年2名でしたが、出場経験のある酒井(3年)を入れ来年は経験者9名が残り、今年期待されながらも出場しなかった1年の小澤や杉本もいて、これに有望な新人が加わり来年の箱根駅伝が楽しみです。

 5強に入っていた東洋大は往路11位から復路余り挽回できず総合10位と辛くもシード権は確保しましたが11年続いた総合3位以内が途切れています。

 

2.明大は3季連続ラグビー大学選手権出場  

 

 1月2日ラグビー大学選手権の準決勝があり、箱根駅伝応援組と別れて西山、仲内、小川の3名が秩父宮ラグビー場に駆け付けました。第1試合は早大対天理大で天理大は早大にチャンスを潰されラインアウトの連続失敗やハンドリングエラー等のミスで早大に14対52と大敗し、早大は6季振りの決勝進出を決め、平成20年以来16度目の優勝を目指すことになりました。

 第2試合が明大対東海大でした。東海大は明大のオフサイドの反則でPGを選択して先ず3点を先制しましたが、これから明大はFW,BKの一体となった反撃に出てその後、東海大に1トライしか許さず山崎、飯沼、射場、箸本の4トライと山沢の3G,1PGで29対10で勝利し昨年に続き2連覇をかけて新国立競技場での早大との決勝戦に臨むことになりました。

 

 1月11日は新年会を控えた役員会の日でしたが、ラグビー大学選手権のそれも明早戦での決勝戦ということで砂山、西山、仲内、小川の4名が応援で新国立競技場に初めて入りました。12月の第1日曜日は関東大学対抗戦全勝同士の明早戦となり明大が勝利していました。(昨年の対抗戦応援会ブログ参照)

 1昨年の明早戦で明大は破れたものの昨年の大学選手権では早大に勝って優勝しているため、相手チームに研究されて対抗戦での勝敗は関係ないというのが実情で早大も天理大で圧勝していることを考えると明大の勝利を望んでも勝敗はどちらに転ぶか判らない状況でした。外苑前駅から国立競技場まで大変な人の列で、30分くらい掛かり1時間少し前に到着しました。既にゴールポストの後ろや3階の自由席は超満員で凄い熱気に包まれていました。

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 我々は1層メインSS席正面左側のゴールポスト側、前から15列目の席に陣取りました。

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 左右の大型電光掲示板に明早それぞれの応援団の映像が映りその度に大歓声が起こります。

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 場内アナウンスが明早代わる代わる応援の小旗を振るよう号令をかけると6:4位で明治が多かったようです。グランドは360度大観衆に囲まれていて秩父宮より小さく感じました。またインゴールが10メートル位しかなく、これでは明治得意の山沢からインゴールにいる山村へのキックパスは無理だと思いましたが結果としてはやはり明早共そのようなパスは出ず、キックは高く上げバックスピンをかけてデッドラインを割らないようにしていました。

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 観衆5万7千人の中で14時30分キックオフで前半40分の試合が開始されました。明大は早々PGで早大(斎藤)に先制され、その後4トライを許しこれまでやってきたこと出せず0対31で前半を終了しました。前半後、田中澄憲監督から「後半は、1人1人がやるべきことをやっていないのでファンダメンタルをしっかり、ボールキャリアーが前に運んで欲しい」とのコメントがあったそうです。

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     (前半の雲山、トライにつなげられずも後半はトライを決める)

 後半は開始早々山村がトライを決め、早大にトライを奪われた後、箸本、山沢、山崎がトライを決めて明大の意地を見せ、その後早大に再度トライを奪われましたが、終了間近に雲山が後半5個目となるトライを決め後半は35対14でした。

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       (昨年FBからSOにコンバートした山沢のトライ)

 しかし前半の失った得点が大きく試合結果は35対45で早大の11年振り16回目の大学日本一許すことになりました。

 残念ながら我々は左サイドの席で、前半明治陣は右側で完璧に攻め込まれたので
我々の前で殆ど攻防はなく、後半はサイドが変わり早稲田陣が右側になったら明治が
圧倒的に攻め込み、これまた殆ど我々の前で試合をしませんでした。

 この試合は、中学時代から対戦してきた明大・山村(報徳学園)と早大・斎藤(桐蔭学園)の学生時代最後の試合でもあり、早大勝利で共に勝ち数が並び3月卒業することになりました。

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    (明大WTB 山村知也)          (早大SH 斎藤直人

 表彰式後、当支部応援者の目の前で早大の選手は全員が白いTシャツに着替え、大学選手権優勝の時だけ歌うことが許されている部歌「荒ぶる」を歌っています。

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 その間、明大チームは正面から時計回りに場内を回りすべてのファンに立ち止まって礼をしていましたが、正面左で早稲田が「荒ぶる」を歌っている後ろをうなだれて歩く姿は何とも寂しい限りでした。我々としてはは試合が終わればノーサイド精神が頭をよぎりますが、やはり「荒ぶる」を聞かされた”不運”と”屈辱”をしっかりと噛み締め来年のリベンジを誓いました。そのあとは3人で渋谷での残念会、帰りの電車の中もボックス席でつづきをやっています。

早大相良南海夫監督の談として「後半は明治が意地を出してくると思った。後半の40分もやってきたことを出し切って集中しようとだけ言い、笛が鳴るまでいくら点を取っても安心できなかった」

また明大田中監督の談として「早稲田は強かった。後半は反撃できたが前半がすべてだった」

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 なお後日談で、当日ダフ屋をあてにして新国立競技場まで行った“つわもの”がいましたが、チケットを入手できず、友人と飲んで帰り家でスカパーで後半だけ見て、やはり最初から全開していればとのコメントがありました。 

 

付記:昨年12月の明早ラグビー応援会の際に参加者に配布された資料の中に、明治と早稲田のラグビー部部歌の記述がありました。今回早大ラグビー部の「荒ぶる」が話題になりましたので、この機会に付記しておきます。

 

「明早両校ラグビー部の部歌について」 

明大ラグビー部の部歌“ルピコンの流れ”の歌詞を見ると、北島忠治監督を囲み岡野加穂留部長や部員が歌っているカセット映像が脳裏に浮かびます。岡野さんは当支部創立から深い縁のある方で学長を辞してから亡くなるまで当支部顧問に就任していただいていました。

 

1.明大ラグビー部の部歌 1926年に誕生しました。創部から4年目のことだったと記録があるそうです。

 

   ルピコンの流れ 勇姿を宿し 天山の嵐 将星をみがく

   知るや駿台 ラグビーの戦士 球蹴れば 空鳴り 球落つれば 地揺らぐ

   勝利は我にあり 勝利は我にあり 

バーシティー明治 バーシティー明治 バーシティー明治

 

ルビコン川は、イタリア中北部、ローマの北部を東西に流れる川で、紀元前49年のジュリアスシーザーがローマ内戦の時に、このルビコン川を南進し、レジスタンスとして立ち上がった話から、「ルビコン川を渡る」と言うのは、重大な決意の表れや後戻りできない決意のことです。

*天山の嵐~将星を磨くは天山山脈のことではないかと想像されます。天山山脈シルクロードに沿ったちょうど中国とキルギスカザフスタンの国境にあり、最高峰は7千メートルを超える。

*部歌の歌いだしから欧州~中国と来て、駿河台と繋がって行く。明治大学のグローバル度が伺えます。

*バーシティはvarsityのことで、代表チームとか一軍を表すが、varsity matchといえばOXフォード対ケンブリッジの試合のこと。いわゆる対抗(校)戦のこと。日本のvarsity matchといえば明治と早稲田の試合ではと思います。

 

2.早大ラグビー部の部歌 「北風」と「荒ぶる」の2つがあります。

「北風」

北風のただ中に 白雪踏んで 球蹴れば奮い立つ ラグビー早稲田

抜山の威力 蓋世の意気 男児の勢数あれど 

早稲田ラグビー ラララララ 早稲田ラグビー ラ

 

*北風に出てくる抜山蓋世という言葉は、中国の歴史書史記に記載され、日本でも項羽と劉邦でおなじみとなった項羽劉邦軍に四面楚歌作戦を取られ、敗退を覚悟した時に、虞美人に歌った垓下の歌の歌詞を引用している。項羽が自決して死んだのは、紀元前202年だ。ルビコン川の歴史よりも抜山蓋世の歴史の方が長い。

*垓下(がいか)の歌 : 力は山を抜き気は世を蓋う 時に利あらず騅(すい・愛馬)ゆかず 

騅のゆかざるをいかにすべき 虞や虞や汝をいかにせん

 

「荒ぶる」  作詞 小野田康一 作曲 早稲田大学音楽部

荒ぶる吹雪の 逆巻く中に  球蹴る我等は 銀塊砕く

早稲田のラグビーは 斯界になびき  いざゆけ我らが ラグビー早稲田

ララ早稲田 ララ早稲田   ララララ早稲田

 

*「荒ぶる」は1922年(大正11年)頃に試合前などに歌われる部歌「北風」に次ぐ第二部歌として作られた。作詞は早稲田OBの小野田康一氏(大正12年・卒)。戦後の混乱期は一時期忘れられていたのですが、1950年(昭和25年)度の主将であった松分光朗さんらが、ソプラノ歌手の三浦環氏に吹き込んでもらったレコードを小野田さんに聴かせてもらったところ、「早明戦に勝ったら歌おう」ということになり、試合前に練習して早明戦勝利後に歌ったことを契機として、大学日本一になったときのみに歌う伝統が生まれました。ちなみに歌の冒頭の「荒ぶる吹雪の逆巻くなかに」という一節は主将が単独で歌います。

そのときの最上級生のみ、冠婚葬祭のときにも歌うことが許される。それ故、優勝チームの下級生からは「自分の代でも荒ぶるを絶対歌います」という決意が異口同音に語られる。近年はフィールドに全部員・コーチ・OBが円陣を組み、主将の発声に続いて斉唱する。            

  • なお明治が野球の大学選手権で日本一になった時だけ歌う「神宮勝歌」という応援歌があります。昨年春全国優勝した時に選手と応援団が歌うのがテレビ中継されました。

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(新年特別寄稿) “逗葉の寅さん”こと渥美 清さん              - - - 豊田茂紀- - -

 昨年 足立支部長から、以前,逗子に明大OBでラグビー部員だった“逗葉の寅さん”こと渥美 清さんがおられた話を聞き10数年前の小文を見せてもらいました。小文は次のような内容でした。 

- - - 逗葉地区の明大卒業の最高齢者は逗子四丁目の渥美 清(S9年商専卆)さん、堀内の神谷美喜子(S9年女子商卒)さん、小坪七丁目の柴田四郎(S9年政経専卆)さんの三人の方かなと思われる。

 渥美 清さんは逗葉支部の活動には一度も参加されなかったがご自宅に伺い上がりこんで閑談したことがある。最初から逗葉支部への参加を希望されなかったので行事案内は届けられていないが、それでも幾度かマンドリンコンサート等案内が行ったはずだが当時郵送だったため返信がないままだった。その後郵送を手配りにしてから逗子市逗子の四丁目は私の受け持ち範囲となり渥美さん宅に届けることになった。

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 逗子小学校の裏門側にある木造の山小屋風の建物に奥様と二人で住んでおられ家の修理も自分でしておられるほど元気な方だった。ともかく中へ入れというので遠慮なく板の間の部屋に入ると直ぐ酒の一升瓶を持ってきてコップに注いでくれた。酒が健康の元のような方で脇で掘りコタツのような所に奥様がおられたが足が不自由らしく耳も遠いようで、渥美さんが奥様の世話をされているようだった。大学時代はラグビーをしていたとのことで昼間から酒を飲んでラグビーの話をして、また逗葉支部の活動等話した記憶がある。S9年卆なので入学したS5年(1929年)は北島忠治氏が監督なった年で以後4年間薫陶を受けたことになる。逗子開成延命寺の神田宜圓住職と一緒だったのでよく寺に行って話しをしているとのこと。また息子さんがテレビ局にいて新人女優の売り出しに今一生懸命になっているという話になりその女優の卵の写真を見せてくれた。帰りに黄色のTシャツを土産にもらっている。これは一度着たがサイズが合わなかったのでしまっておいたもので合えばやると言うので着ると丁度良く貰ってそのまま着て帰った。長い間の痕跡か一部よごれがありで妻が洗ったが取れなかったようだ。このため処分してしまったのを後で聞いたが後の祭で思い出の品も無くなってしまった。

 その後会報を届にいったがドアが板で斜めに打ち付けられていた。近所の人の話では奥様が亡くなられた後、鎌倉の息子さんの家に移られたとのことで逗葉地区の最高齢者は一人減ってしまった。- - -

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第30作“花も嵐も寅次郎”のマドンナ役は田中裕子さん (明大卒)でした。

f:id:meijizuyou:20200102204515j:plain 渥美 清 演じる“寅さん”

    ( 渥美 清さんは風天の俳号を持ち、『ただひとり 風の音聞く 大晦日

  の句を残しています。- - - 風天 渥美清の歌- - - より)*西山さん情報

 

 私は高等学校のラグビー部監督をしていたこともあり、この話を右から左に聞き流してしまうわけにはいかないので、手元にある「ラグビー早明戦80年」(ベースボール・マガジン社)で調べてみた。 

 第10回、通算早稲田6勝 明治4勝の個所に渥美さんが出場した記録がありました。東京帝大と東京商科大の2試合に14番右のウイングとしてです。 

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 試合経過はありませんがスコアでは渥美さんが東京帝大戦で1トライを上げています。当時のトライ点数は今とは異なります。6人が14トライ(1人がNO8,それ以外の5人はすべてバックス)で上げています。64vs5で明治が東京帝大を、同じく89vs0で東京商科大を破っていますが、この試合のトライが記録されていません。

  当時の明治の部員は約80人で現在のように負傷交代とか戦術交代はありませんでした。負傷退場すればその分、少ないメンバーで戦う時代でした。リザーブの選手を置くようになったのは明早戦で言えば1976年の第52回からです。通算10回目の明早戦が戦われた1932年(S7)年、公式戦13試合に出場した部員は19名だけですから渥美清氏が早稲田戦や慶応戦に出場されていなくとも素晴しいと思います。

 公式戦13試合とは五大学リーグ戦(慶応・早稲田・東京帝大・明治・立教)4試合とそのほかに明治が戦ったのは東北帝大・法政・日本・文理大(東京文理科大=現・筑波大)・東京商科大(現・一橋大)でした。さらに関西の京都帝大・同志社立命館と東西大学対抗戦を戦い、もう一つ学士クラブ(どういう組織か不明)とその前年を含めて同クラブと二戦していますが、その前後をみてもこれだけ。なお同クラブと早稲田は一戦もしていない)。2年後、五大学リーグは、力を付けてきた法政大・東京商科大を含めて7大リーグとなりました。渥美 清さんはこの年3年生とありますが1年、2年・4年次に、出場試合はありませんでした。出身中学も対早稲田戦のメンバーについては1名を除いて記録がありますが他の試合についてはありませんでした。「ラグビー早明戦80年」(臙脂と紫紺の記録)だからでしょう。渥美 清さんは明早戦が大変な人気を呼び始めた頃の部員だったのです。

●●● S7年主将は逗子と同じ呼称の都志(づし)悌二氏でした。都志主将は岡山県倉敷市出身で昨年暮れ明大マンドリンコンサートの義援金を伊東香織倉敷市長にお渡ししたことが頭をよぎります。インターネットに偶然にも都志悌二「敵陣深く紫紺の軌跡」と題しS7年の試合が残されていて豊田さんの指摘の試合の出場メンバーも載っていました。渥美 清さんの名もあります。●●●- 

 また「ラグビー早明戦全記録 日本ラグビーの華 早明戦60年の熱闘譜」(ベースボール・マガジン社)に次の記載があるので紹介しておきます。

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            ( 渥美 清さんが出場した65,000人収容の神宮外苑競技場 )

(昭和7年)12月4日- - - 早稲田は同じく全勝の明治と天下分け目の対決を迎えた。神宮競技場は満員札止め。新聞は史上最高の4万人と報じた。- - -(ここから試合経過が詳しく述べられている)- - -この日、神宮球場は11時開門会前から延々長蛇の列。秩父、高松両宮、同妃、竹田、北白川両宮がご観戦になり、リンドレー英国大使なども列席。「メイジ」「ワセダ」の叫びがわきおこり「拍手以外の声援お断り」というラグビーの不文律も破られるほどの熱狂振りであった- - - 。 

 当日のキックオフは翌日の東京朝日新聞(「朝日新聞で見る ラグビー早明戦の歴史」2002年11月発行)によれば「四日午後二時三十五分」であり、3時間以上も前から4万人の観衆が押し掛けたとなっています。当時の両校の学生総数を大きく超え、またスポーツへの関心度、メディアの発達度、競技場へのアクセスを考慮すれば社会全体の注目度は現在の比ではないと言ってよいでしょう。ラグビー発祥の地、英国駐日大使が観戦したなどは他にあったのでしょうか。

 *逗葉の寅さんが観た明早戦

 1年生時 (昭和5年)ミスもあり得点なく後半29分を迎えた。ここで⑨松原の左にパント、⑪鳥羽が球を捕らえ、相手FBのディフェンスは手先が触れただけでライン際を走り抜け中央にトライ。⑦知葉のコンバージョン決まり5-0と早大を無得点に抑えて対早大連勝を飾る。

 2年生時(昭和6年)明大は東大戦を残すものの史上初の全勝対決となった。明大は前半10-0とリード。後半早大は英国の国際試合のような深いTBラインで臨んだが、「ゆさぶり戦法」は未完成で、BK長尾、知葉がトライを上げたものの強力な明大FWの前に33-8と圧倒された。特に笠原のキックは威力を発揮。明大は、東大、京大も破り初の全国一。

 3年生時(昭和7年)2年連続の全勝対決、第一次明早時代の到来。新聞の展望記事では、明大について「超人的馬力を発揮して東西の大学を押しまくり、名FB笠原がヴェルダン要塞の如く不落の堅陣を張っている」と評した。試合は明大が後半10分、岡のトライで12-13と1点差に迫ったところで最高潮を迎えた。10分後早大林が右中間に独走トライ、以後1トライ1PGを加えられ12-24で5年振りに早大に敗れた。早大は関東初制覇。

 4年生時(昭和8年)関東五大学は、昨年の東京商大、法大の躍進で、二大学を加え七大学リーグとして覇権を争うことになった。明慶戦が予定されていた1112日に皇室の葬儀が行われるため延期され、早大の最終戦が明大のシーズン3試合目という変則日程となった。6-8で早大に連敗した。

    明治は早稲田と正式な定期船を組むようになった大正12年(1923年)から5年間は全敗。昭和3年から4戦4勝。そして迎えたのが人気を呼んだ第10回目の明早戦だった訳です。 

 明大ラグビー部は昨年大学選手権で日本一になり、その後も好調を続けシーズン終盤の慶大、帝京大早大の3試合で計3トライしか許さずに秩父宮での最後と思われる明早戦を締めくくっています。

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 新たな年を迎え大学日本一連覇を願うと共に、昨年暮れ映画「男はつらいよ お帰り 寅さん」が上映となり、また新年早々、NHKのBSプレミアム「贋作(がんさく)男はつらいよ」が1月5日〈日)20時から始まることもあって“逗葉の寅さん”ことラグビー部OBの渥美清さんにつきブログ掲載しました。 

 昭和7年明大ラグビー部員として神宮外苑競技場に出場していた渥美 清さんは、新国立競技場や今の明早戦を観たらどう思うのでしょうか。 

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                    (2019年12月21日開場式前の新国立競技場を背に)

      - - -  寅さんのタ行で始まるのは田澤さん(前列右端)のみ  - - -

 大学日本一を決める 第56回大会決勝は2020年1月11日(土)に新国立競技場で行われると発表されています。明治・早稲田が 勝ち上がり決勝対決が実現しました。明治は3季連続で決勝進出し2連覇に王手をかけ、また23年振りの明早戦決着となっています。伝統ある明早戦の楽しみがまた増えました。 

 記事の一部分(●●●部分)は足立支部長に追記していただきました。 (豊田)

 

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今年は熱海で一泊忘年会を行いました

 毎年恒例になった一泊忘年会は、12月8日(日)~9日(月)の日程で熱海の「大野屋」で行いました。大野屋は北は北海道から南は滋賀県まで展開する伊藤園グループですが、“伊藤園ホテルズ”の別格の熱海の4つのホテルの“伊藤園リゾート”の一つ「ホテル大野屋」です。

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 8日夜は12月に2度しか行われないという海上花火大会の日でした。8日は逗子駅に12時30分に集合。大船駅を出るとしばらくして中山さんが当日用意したお酒やつまみを配って車中懇親の場となる予定でしたが、乗客が多く、暫く立っている参加者もいてささやかな車中懇親にならざるを得ませんでした。熱海駅に付きホテルへの送迎バスが丁度出た後だったので、それほど遠くないとの言葉が出てホテル迄歩くことになりましたが、かなりありました。しかし駅から熱海の繁華街を見て海沿いの道のウオーキングは高齢者同士歩みも遅く疲れた方はおられませんでした。電車組は幹事の中山、川﨑、菅野に足立、林、綾部、小川、西山、石渡、日向、山村の11名で現地直行組が三武、根岸、鈴木達、田澤、下里の5名、参加者は合計16名でした。

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 ホテルはやはり花火大会の影響か大勢の客がいて、当初一泊忘年式をしてからバイキングの夕食の予定でしたが変更して夕食が先になり、到着後4部屋に分かれ荷物を置いた後にロビーで浴衣を選んで部屋に戻り。着替えてまずローマ風呂に浸かっています。

 

 ホテル大野屋のローマ風呂はその広さ約250畳分で一度に約300人入ることができ4本の自家源泉が注ぐことで昔から有名です。実際入って古代ローマ帝国を偲ばせるローマ皇帝の彫像とその他四隅の女性像を見ながら窓のない大浴場で日頃の疲れを癒しました。

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 入浴後夕食のバイキング場に行くと長い行列が出来ていてまず驚きました。約100種類あるという和洋中の料理・デザートと飲み放題でしたが年を考えそうは食べられませんが皆食べ物はまちまちでも数度取りに行っています。我々16名分の席が指定されていましたので19:00~20:30の宴会を兼ねることが出来ました。食事を終えてバイキング場を出ると次の入場者が列を作って待っていたのにはまた驚きで時間で入替でした。花火大会の日でもあり特別に客が多かったように感じられました。

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  (小川さん 会報1月1日号に間に合わせるためスマホで撮影し送っています)

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        (会報1月1日号の一泊忘年会に採用した写真)

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 夕食後、幹事部屋に集まり形式的な忘年式を行いましたが、11月にマンドリンコンサートが成功裏に終了した話題が中心で、毎年忘年会つきものの幹事長からのこの1年間の行事コメントは省略でした。幹事部屋の窓を揺るがす音で花火大会が始まり、べランダに出ると右方向すぐそばで花火が上がるのが見え暫し観賞しました。

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 この一年はマンドリンコンサートもあり、皆さんご苦労様でした。(足立支部長)

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 熱海海上花火大会は、1952年(昭和27年)にはじまった歴史ある花火大会。夏だけではなく年間を通して10回以上も開催されている熱海名物です。会場である熱海湾は、3面を山に囲まれた「すり鉢」状の地形のため、海で上げる花火の音が反響し、 大きなスタジアムのような音響効果があり花火業者さんも絶賛する花火打上会場です。

しかし逗子海岸の素晴しい花火を見ているせいか会話に熱中し、花火は音だけ聞いていたというのが本音のようでした。

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 散会した後に数人で暫くぶりに参加した下里さんを囲んで葉山に明大ヨット部合宿所が出来た裏話に耳を傾け寝たのは2時を過ぎていました。“夜更けて語り合い時間を忘れる”という一泊忘年会の良い面は今年も継続されました。

 翌日は朝7時の朝食前に屋上の露天風呂に浸かり、海を見ながら大阪から来たという方と“熱海の良さ”について閑談しています。

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 朝食バイキングを済ませホテルで解散となりましたが、一部の参加者は帰路に紅葉を訪ねて姫の沢公園に寄ることになりました。

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 送迎バスで熱海駅まで出てここから元箱根・十国峠方面バスで25分程旅情を楽しみ、日本の都市公園100選の指定公園でもある姫の沢公園に付きました。

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 丁度モミジの紅葉が見頃でした。また花の名所で知られていますが、さすがに12月初旬で花は少ないなかにも山茶花、つわぶき、小福桜の花などを観賞しました。

 小田原に出て“多留満料理店”で昼食を取り“まると”で土産を買って帰路に付きました。

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            店頭の左で微笑んでる相方の《お多福像》賽銭箱が追加されてただじ。

    貯まったお賽銭は、京都のおかめ寺《千本釈迦堂大報恩寺》へ奉納されるそうだじ。

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 天気も前日に続いて恵まれ、歩く会のイベントを兼ねていましたが、両日とも会話に新年の期待と希望が出ていたのは忘年会に相応しく思われました。

 

         

令和最初の明早ラグビー観戦会を実施しました

 今年は平成10年に明早ラグビー観戦会を開始して以来、連続第22回目の観戦会となりました。秩父宮ラグビー場は6年目で参加者は足立、小川、小見、金井、川﨑、河辺、佐藤、菅野、鈴木達、砂山、砂山(孫)、田澤、中山、西之原、西山、根岸、馬場、三武、山村、吉岡の20名でした。

 今回は入場券確保が難しい中、砂山さんに入場券20枚確保していただきました。 

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 昨年は両校5勝1負で並んで対戦でしたが惜敗でした。令和初、それも両校25年ぶりの6戦全勝対決ということで、今年の観戦会は校友会逗子葉山地域支部旗を初めて持参しました。 帝京大戦の結果から雪辱間違い無しの思いもあって勝利の後、会場に詰め掛けた明大応援団に逗子葉山地域支部を大宣伝する意味もありました。

  第1回観戦会の平成10年(1998年)は早稲田に勝利し全勝優勝した年であり、今年は21年振りの単独優勝の再現を大きく期待していましたので、毎年参加者に配布する資料には明早ラグビー部の部歌(明大・ルピコンの流れ、早大・北風と荒ぶる)の歌詞と解説を掲載しました。 

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 早稲田は25年前の対決で明治に負けているためその時の雪辱と昨年に続き連勝の意味合いもあったのですが、結果は明治の安心した勝利で終わりました。当支部で持っている1本の軸に明治、早稲田両校の応援旗を付けた旗を翻してノーサイドを現わしたのも初めてでした。明大応援団の群衆の中で良かったのかは判りませんが、伝統ある明早ラグビー試合ということでご理解をお願いしたい。明大のWTB山村(兵庫の報徳)と早稲田のSH主将斎藤(横浜の桐蔭)は中学時代からのライバルでプライベートでも仲が良いとのこと。まして東福岡のように同じ高校から明早に分かれた進んだ選手もいるのでお互いの切磋琢磨を期待したいと思います。

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 今年はワールドカップがあり、今でも明大卒の田村優の正確なキックと共に帝京大卒の姫野和樹のプレーで有名になったジャッカルが印象に残っていましたが、やはりOBの田村は後輩の応援に来て放映のゲスト役でした。

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               (試合前の練習)

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               (キックオフ)

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                 (後半開始)

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        (ロスタイムでの山村のトライ後、ゴールを狙う)

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      (21年前の第1回観戦会と同じく全勝単独優勝を祝す)

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 以下試合内容は「応援会参加者」と「テレビ観戦者」2者の記事です。

 

―2019年明早ラグビー応援会に参加―

 今年も伝統の明早戦応援に総勢20人で、秩父宮に向かった。キックオフは午後2時だが2時間前に到着、前日の 11月30日に完成した新国立競技場やオリンピック ミュージアムなどを見学し、 1時間前に入場した。25年ぶりの全勝対決とワールドカップの余韻もあってスタンドは超満員となった。試合は36対7で明治が完勝、4年ぶり17度目の対抗戦優勝を果たした。

 序盤は早大のテンポの速い攻撃で自陣に攻め込まれたが17分、展開からロック箸本が相手を引きずりながら先制トライ、山沢のPGで10対7とリードして折り返した。後半はFW戦で優位に立ちフッカー武井主将の2トライなどで早大を無得点に抑えた。箸本は守備でも再三のジャッカルでピンチを救った。 因みに彼は試合後「MAN OF THE MATCH」に選ばれインタビューで選手権での優勝を誓っていた。

 田中監督は「FWにこだわるのはメイジのDNAのようなもの」と言っているが最近の明治はFWがバックスの位置、またバックスがFWの位置にいても同じプレーができる。 これが守備でも生きて、シーズン終盤の慶大、帝京大早大の3試合で計3トライしか許していない。 正に「ニューメイジ」のスタイルが出来つつある。早大は‘07年以来の全勝優勝と対抗戦2連覇の夢を粉砕された。大学選手権は、順当に行けば準決勝で明治は東海大、早稲田は天理大との対決となり、両校勝ち進めば1月11日の新国立競技場での決勝は再び明早戦となる。武井主将は春先から「昨年は昨年のチーム、今年のチームで日本一なって進化を体現する。準備ではなく、成長することが大事」と言っている。大学選手権優勝ならば14度目、‘96年以来の連覇となる。 (小川)

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   (一緒になった町田地域支部 女性部長 淀静香さんと青年部長 淀義明さん)

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―2019年ラグビー明早戦をNHKTⅤ観戦―

Jスポーツで録画し2度観ました。スポーツ2紙を含む4紙は、いずれも快勝、完勝といった感じの記事でした。しかし。幾つか気になるプレーもありました。

1.前半11分から約4分間のスクラム。4回組み直しましたが最初の2回は明治3番のコブラシングを取られても不思議ではありません。レフリーが3番側に居たら取っていたでしょう。さすがに修正しましたが上半身が伸び切っていました。足の位置が後ろ過ぎたと思いました。5度目にフリーキックを得ましたがスクラム選択は賢かったですね。6度目のスクラムで早稲田のコブラシング。タッチに蹴り出してラインアウトボールを獲得。そのままフェーズを連続、5番のトライに実りました。教科書に載っているようなトライでしたね。

2.後半、明治がスクラム3度もコブラシングを取られたのは修正の余地が充分にあります。

3.明治はボールをよくバックスまで回していました。11番、14番、15番もよく絡み、また前に運びました、早稲田は15番が殆どボールに触れずにおわったのではないでしょうか。15番の父親は明治のロックで明早戦に3回出ています。その息子は昨年の試合と大学選手権準決勝でいきなり2度もトライを取られたのですが、今年は仕事をさせませんでした。これは大きい。

4.後半ロスタイムで粘ってトライを取ったのは素晴らしいことでした。昔は無かったことです。

5.早稲田は主力を2人故障で欠きましたので、戻ってきてからの大学決勝を油断せずに戦って欲しいものです。(豊田)

 

補足:

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 明早戦のNHK録画を見直していたらロスタイム最後の山村のトライ直後の場面にスタンドが映り、皆さんの歓喜の様子が放送されていました。ほんの1,2秒でしたが一時停止にして写真を撮りましたので送付します。拡大してみてください。
 写真右上の15番ゲートの少し左下にまず砂山さんがこれ以上ない笑顔で映っていて隣にお孫さん、以下敬称略、その隣に菅野友人佐藤、菅野、1列上斜め左に小川、河辺、西之原,三武、オレンジのジャンバーで万歳をしている中山、一番左に目の前で山村のトライを見た山村、と確認できます。(他の人は良く見えません、ご自分でご確認を・・)砂山さんの少し右に席番は違いますが根岸さんのように見える人がいます。
 録画残している方は、トライ直後に15番ゲートが映るのでそこで止めて見てみて下さい。                               小川

 

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第13回 明治大学マンドリン倶楽部チャリティーコンサートを開催しました

 恒例の「明治大学マンドリン倶楽部チャリティーコンサート」を前回の葉山開催から5年振り、逗子市では12年振りに11月17日(日)に逗子文化プラザなぎさホールで開催しました。今回の公演は約2年前に立案し、昨年に発生した<西日本豪雨災害>の復興支援を目的に、逗子市の協力を頂きスタートしました。

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 公演会場の「逗子文化プラザ」は13か月前の抽選で決まる為、約1年半前から準備を進め抽選会に臨み、9月、10月が落選しましたが11月17日にやっと当選。漸く3回目で決定しました。今回の復興支援金は、入場券や市内の企業約70社から市況厳しい中、掲載いただいたプログラム広告料の一部からであり、皆様に厚くお礼申し上げます。支援先は、明治大学校友会岡山県支部と相談し、岡山県倉敷市の伊東香織市長にお届け致します。このコンサート準備中に今年9月台風15号、10月には台風19号による甚大な災害が発生しました。罹災された皆様に心からお見舞い申し上げます。

 さて、公演の開催日決定後、仲内実行委員長のもと毎月< 実行委員会>を開催して各委員がPR、広告取り、入場券販売、プログラム作成を分担して鋭意推進してきました。〈演奏会〉は、秋晴れの中、15分開場を早めたのにもかかわらず、心待ちする方々の列が図書館まで連なり、今までにないことと職員の方が驚く程でした。若干の当日売りチケットもすぐに売切れ、皆様の厚いご期待が伺えました。

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  何と言ってもマンドリンコンサートは日程が決まり、諸手配・準備が一段落した後、前日から当日の開演前迄の作業が待っています。

 前日は夜間同会場を確保して舞台設営と楽器の中で大きなグランカッサ1台とティンパニー3台は学生が持参出来ないので葉山中学校から借用しレンタカーを手配して会場持込を委員が行っています。442Hzのピアノ調律も調律師に依頼して済ませました。

 当日は学生の乗ったバスと楽器を運ぶトラックが9時に到着のため、実行委員は9時前に迎え入れ準備と会場である2階なぎさホール前のホワイエに机椅子の設営、そして11時30分に支部役員、応援スタッフが集合し、当日の役割の確認オリエンテーションを行っています。今回は初めて明治大学東部地区父母会の辻井会長を含む7名の方が受付を主に応援していただきました。

 仲内実行委員長の挨拶の後、足立実行委員(支部長)から配布した資料に基づき説明があり、次いで綾部委員から交流センター1階会議室での昼食の説明があり、交代でしっかり食事をとった後それぞれの持ち場についています。なお会場から避難誘導員名簿提出を求められていますので、その説明もしていましたので、誘導員の方は決められた場所につきましたが開演後は中で演奏を聞いていただきました。

 開場前に大勢の行列ができ、並んでいる方にマンドリン倶楽部のCD資料他のチラシをお配りして見ていただき、開場予定を15分早めて13時15分には入場していただきました。入口前には予約入場券引渡し及び当日券売り場も設けましたが当日券は枚数も限られ直ぐなくなりました。

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 午後2時、砂山元支部長の主催者挨拶の後、開演。第一部・古典音楽は「明治大学校歌」で始まり、次に中国ヤオ族を題材にした中国管弦楽「ヤオ族舞曲」。曲は遅いテンポと速いテンポが交錯しながら中国ムードに溢れた重厚かつ軽快な内容でした。更にジャズ、歌劇等の演奏が続き、花束贈呈では、コスモスインターナショナルの牧野姉妹が会場の雰囲気を一気に和らげました。第二部・心に残る日本のうたは松田聖子の「青いサンゴ礁」で華やかにオープニング。「男はつらいよ」、「古賀メロディ」と続き、「真白き冨士の根」を全員で斉唱しました。地元発祥の唄で、哀愁を帯びた旋律に、歌いながら涙を拭う姿がここそこに見られました。第二部最後の「津軽組曲」ではマンドリン津軽三味線の音を出す素晴らしいワザで観客を魅了しました。第三部・世界名曲綴りはベニーグッドマンの「シング・シング・シング」で幕開け。タンゴ、シャンソン、ミュージカル、そしてマンクラ得意のラテンと続き会場の盛り上がりは最高潮。マンボ二曲のアンコールに応え、エンディングは「愛燦燦」でした。ひと昔前と比べエレキギター・ベース、電子ピアノ、シンセサイザーなど新しい楽器群が加わり幅広い音と迫力を出すようになり、観客の皆さんも大満足の様子でした。

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        上段は葉山中学校吹奏楽部から借りたグランカッサとティンパニー3台f:id:meijizuyou:20191212123741j:plain

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           ( 牧野愛矢ちゃん、牧野光沙ちゃん 大役ありがとう)

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 演奏終了後、スタッフがお礼を言うべく出口に行くと、口々に「良かった!」とハイタッチをしてくれる方や感動して思わずハグしそうな方もおられました。また出口近くでCD販売をしていましたが、人垣ができていました。第三部指揮者がCD販売の応援に来たときには取り囲まれ、握手や写真を撮られていました。明大マンドリンが愛されているなと改めて感じました。

 後片付けの後、吉田主将が演奏者と共にきて、「お客様との一体感の中、皆喜んで演奏することができました。逗子・葉山の皆様に心打たれました。」と挨拶を残し、一路母校に引き上げていきました。マンドリン倶楽部の吉田主将、堀内マネージャー、部員の皆さん素晴しい演奏有難うございました。

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 学生を見送ったあと、荷物を車で自宅に移動する役員、大型楽器を保管場所に移動する役員以外は先に打上げ式会場である「千登世寿司」2階に行き歓談、全員集まったところで慰労会を行っています。1年半にわたる実行委員会の皆さんの骨折りに感謝する場ともなりました。

 終わって一部の役員は「すなっく舞」に行きましたが稲門会の役員の方々がご夫妻でおられコンサートを「大成功」の掛け声で祝していただきました。今回のコンサートには神奈川県東部支部の向井支部長も参加され、打上げ式の「千登世寿司」、カラオケの「すなっく舞」までお付き合いいただきました。感謝申し上げます。

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            ’’(斎藤さん 一日舞台裏の影アナ 御苦労様でした)

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 今回の〈演奏会〉では、OB会員の皆様に入場券購入に協力を頂き、更に神奈川県東部地域父母会の皆さんにも全面的に協力を頂き、又、地元の四大学OB会〈逗葉睦会〉の皆様にもご支援頂きました。この場をお借りして関係各位のご支援に感謝致します。

                                  (砂山)

*このコンサートの収益金から真備町に復興支援金を贈るに際して全国支部長会で初めてお会いした明治大学校友会岡山県支部の木下唯志支部長様に相談したところ、岡山県支部の岡良夫副支部長様、景山貢明幹事長様他の役員の方達と相談いただき、木下支部長様他役員が倉敷市の伊東香織市長を訪ね、直接持って上がるのが当支部の意が届くのではとのお返事をいただきました。有難い話で“明治は一つ”を実感し義援金岡山県支部口座に振り込みました。12月25日に木下支部長、岡副支部長のご両名が伊東倉敷市長を訪問して義援金30万円をお渡ししていただきました。岡山県支部との交流が令和元年の良き記念ともなりここに追記して報告させていただきます。

                                   (足立)

 

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伊東市長・木下支部長・岡副支部長   逗子での明大マンドリンコンサート・チラシ

                    を見る伊東市

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*文章は1月号の会報記載分に足立追記。写真は西山さんと桐島さんからの提供です。

 

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明治大学全国校友千葉大会に参加しました

 今年の全国大会は、第55回となり 東京大会以来8年振りの関東圏での開催で千葉県に於いて開催されました。全国大会は例年旅行会を兼ねていますが、今回は近くでもあり、記念式典と懇親会のみの参加とし足立支部長以下、田澤、砂山、西山、山村、綾部、川﨑、小川、根岸の9名が参加しました。参加予定していた仲内、白石の両名が不参加となり10名を切りましたが、それでも小規模の支部としては多い方と思います。旅行会が無かったので今大会のブログは式典他内容を詳しく報告することとします。

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 当日はJR逗子駅に11時30分集合。東京駅に出て20分程乗換で歩きJR京葉線海浜幕張駅に着いたのは13時30分過ぎでした。駅前で軽い昼食を済ませ、1600名収容できる幕張メッセ国際会議場コンベンションホールでの記念式典に臨みました。ホール入口で記念写真を撮っています。

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 「やっさい!もっさい!おっさ!!来たいよ 総(ふさ)の国 明治は一つ」をキャッチフレーズに全国各地、韓国・台湾からも含め1500名を超える参加者が集まりました。この千葉大会は令和及び北野大校友会長初の全国大会となり、明大グリークラブグリークラブOB会合唱団のオープニングで始まり、司会は渡辺正行氏(S53経営卒、千葉出身)と高畑百合子さん(H15法卒,チアリ―ディング初代キャプテン)でした。

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 大会旗入場、国歌斉唱、校歌斉唱、物故者への黙祷を経て開会宣言となり、まず大会実行委員長の小関道生千葉県東部支部長の歓迎のご挨拶がありました。当然千葉県のPRで漁獲量全国1位の伊勢海、落花生、勝浦沖のマグロから来年の東京オリンピックパラリンピック幕張メッセが8種目の会場になるとの話がありました。来賓・大学役職者・校友会役員紹介のあと北野大大会会長の挨拶があり、この千葉大会が千葉県西部支部と千葉県東部支部が一緒になっての大会でまさに「明治は一つ」を強調されていました。全国大会は明治大学の誇りであり建学の精神は現代風に言う「個を強くする」の意味するところを強調されてもいました。

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 祝辞で挨拶された柳谷孝理事長からは、千葉県が大戦後明治大学の復興に力を注いだ鵜澤総明総長の生誕地(茂原市)であり業績・人柄についての説明がありました。東京裁判で日本側弁護団長を務めた鵜澤総明氏の元で父親・木戸幸一の弁護をした木戸孝彦家族が逗子に住んでいたことや、リバティータワー最上階の23階岸本辰雄記念ホールにある鵜澤総長が書いた李白の「望天門山」の軸に因んで以前船津支部長退任の感謝記念品に書道クラブの牛久順之部長に短冊で書いてもらったことなどが頭をよぎりました。

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 土屋恵一郎学長からは志願者数・学生数から見ても千葉県は現在の明治大学にとって大きな比重を占めていること、反面全国大学の姿が失われてきていること、今後全国大学としての姿を取り戻す必要があるという話があり、学長任期の残された期間に全国の校友会が更に強く維持されていくための方法を考えていきたいとの挨拶でした。

 若い熊谷俊人千葉市長の来賓祝辞、森田健作知事の映像による祝辞のあと、来年の全国大会開催地である香川県の玉越浩達支部長が全国支部長を代表して挨拶され、祝電披露、万歳三唱で式典閉会となりました。

 同ホールでの記念講演は、いすみ鉄道㈱の前社長 鳥塚 亮氏(S60商卒)による「廃線危機を救ったいすみ鉄道前社長直伝『考え抜く力』~危機を乗り越える夢と戦略~」でした。1時間1500名の聴衆を引き付ける講演で感動的な内容でした。廃線を救う多くの施策のベースになったのは鉄道を残そうとする地元の学生たちを含む住人の長年のボランティア活動の存在と女性を対象にした観光列車化だったようです。

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          (車両にムーミンの絵を付けただけのムーミン列車)

 場所をホテルニューオータニ幕張鶴の間に移し懇親会となりました。1500名は入り切らず千葉県の各地域支部は会場入り口前のホワイエに陣取る形になっていました。丸テーブル椅子席で神奈川県表示のテーブルに9名座りました。

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 司会は式典と同じで、郷土芸能のオープニングで始まり、歓迎の挨拶は大会実行委員会会長の前田勝己氏(千葉県西部支部長)でした。 千葉県は鵜澤総長に志田鉀太郎(一宮)、麻生平八郎(茂原)両総長を出していて千葉大会はこの3総長の訓えを基に開催するものですとの言葉がありました。

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 北野校友会会長の乾杯後、各種アトラクションを見ながら料理と飲物を口に懇親に入りましたが、料理は取りに行かなくても全て係の人が各テーブルに運んでくれました。北野新会長とは神奈川県東部支部総会に来られた時に歓談したことを思い出しました。 

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      (数年前の神奈川県東部支部総会の当支部テーブルでの写真)

 アトラクションはマグロ解体ショー、高校生ダンスパホーマンス(東京五輪音頭2020)、銚子はね太鼓、甲斐靖文氏指揮する明大マンドリン倶楽部演奏と歌披露の後、香川県支部による次年度開催アピールがありました。

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 マンドリンの伴奏でH13年経営卒の歌謡界の“癒しのプリンス”と言われる竹島 宏さんの歌披露もあり将来が楽しみな歌い方で耳を傾けています。

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 次いで応援団の吹奏楽部・バトンチアリーディング部・応援指導班の構成による披露がありました。応援団OBに寄る紋付き袴姿での“明大節”披露もありました。

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 バトンチアリーディングのメンバーは各テーブルにも回って来て、歓談に入っていました。当支部テーブルにも来て、最近は高校からチアリーディング部に入っていた学生が多く私は希望して明大に入りましたと言っていました。ここ10年でメンバーも大幅に増えて活力も抜群で技術力も早大に近づきつつある感じを受けました。このメンバーも中に入り参加者一同肩を組んで明治は一つの輪になって校歌を斉唱、千葉県と香川県にもエールを送って小関実行委員長の閉会の挨拶で懇親会を終了しました。

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 1ヵ月程前に関東地方に上陸した観測史上最強クラスの台風第15号に見舞われ、停電、断水と長期被災した千葉県ですが、あえて主催者からはこのことは振れず、明大の仲間に楽しんでもらおうとする“おもてなし”の心意気が伝わってきた大会でした。それでも懇談の中、募金箱を持った女性の学生?が回ってきたので募金協力しています。

 向井眞一神奈川県東部支部長も缶に入った千葉県産の“のり”を持って歓談に加わりましたが、東部支部の結束を願って“のり”だったのかなとも思いました。千葉県のグルメ紹介として落花生、勝浦のタンタンメン、なめろう太巻き寿司がありましたが、会場入り口には多くの出店があり当然地元の蔵元も出店していました。勝浦の「鳴海」の東灘醸造(H60農卒・君塚敦代表)、富津の「東魁盛」の小泉酒造(H46工・小泉平蔵)、同じく富津の「聖泉」の和蔵酒造が 千葉大会を応援していました。 土産を買って玄関前で司会役の渡辺正行さんと写真を撮ったりしているうち、帰りの人波に紛れて2グループに分かれてしまいました。

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 来る時は僅かな小雨が降っていましたが、帰路は雨も無く来る時ほど時間の感覚は薄れていました。 (旅行が無かったため西山さん提供の写真を多く掲載しました)
 

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9月末開催の逗子海岸花火大会を楽しみました

 第62回逗子海岸花火大会が9月27日(金)19時15分~20時の間に開催されました。6年前の2013年(平成25年)に初めて葉山港管理事務所2階で立教会、稲門会さんと一緒に花火鑑賞会を開催して今回が6回目(一昨年中止)となりました。2回目から稲門会さんは逗子海岸での見学会に戻したため葉山側からは立教会さんと2校合同見学会になっています。昨年は6月1日(金)開催で3年前のブログで逗子海岸の花火の歴史やなぜ6月なのかについて触れていますが、今年は昨年同様に逗子市の財政危機から緊急財政対策で花火大会の支援金もなくなり開催が危ぶまれていました。

    昨年は「みんなで作る逗子海岸花火大会実行委員会」を主催として市の支援金分を目標に活動を展開して㈱コロワイドさんの多大な特別協賛で開催の運びとなりました。

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 今年は開催未定が長く続き桐ケ谷新市長の元、1300万円の市補助が決定、それでも特別協賛以外に1000万円の協賛寄付が必要でしたが、当日の有料席収入(波打ち際指定シート席360区画・1区画12,000円、チケット自由席4,000人・大人2,000円、子供1,500円)を見込み逗子市観光協会と逗子市が主催となり㈱コロワイドさんの特別協賛を受けてやっと9月27日(金)に開催する運びとなりました。花火大会が6月から9月になったため花火打上げも15分早まりましたが花火鑑賞会は18時~20時と同じでした。

 当日は、会費2,000円で参加予定15名を見込み買い出しからスタートしました。「オーケーストア」前に16時に山村、綾部、川﨑、小川、足立の5名が集まり日本酒、焼酎、乾きもの、チーズ、容器を購入、次いで「スズキヤ」で焼き鳥、たこ焼き、枝豆を、「三河屋」で缶ビール24本、日本茶、ウーロン茶、ジュースを、「ちよだ鮨」でにぎり寿司,巻寿司を購入して、駅前からタクシー2台で会場へ向かいました。現地集合は18時からでしたが30分ほど前に到着。丁度ヨットの片付けをしていて間もなく夕焼けの空に富士山が見えていました。

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 あらかじめ数人で準備を始めていた立教会さんと設営を開始、順次参加者が集まり、当支部関係者は林夫妻、西山、鈴木悟鈴木達也、青池夫妻、高島、根岸さんの娘さんと子供さん1名の大人10名が加わり、大人15名子供1名の総勢16名となりました。花火鑑賞会は立教会さんとの懇親も兼ねるのが恒例となっていますので、会場確保のお礼も兼ね日本酒(渓流)を1本持って足立、小川で表敬挨拶しています。昨年は立教会の岸野前会長がワインをつぎにきて長く歓談されましたが、最近突然亡くなられ松田会長が明治のテーブルに来られて説明もありました。

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 根岸さんが預かっていたワイン1本持参、青池夫人よりワイン2本いただき、常連の着物姿の白石さんは不参加でやや寂しかったのですが9月末なので浴衣は無しで納得。立教会さんの受付には先の葉山での落語会に来られていた吉田さんや青山元会長や岩井事務局長さん等と歓談、19時15分花火打上げ開始まで両校十分懇親を深めることができて良かったと思います。

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 また岸野さんが自宅のワインセラーに200本程のワインを所蔵している話を聞き、岸野さんに次いでワインに詳しい方をお聞きしたところ、受付におられた方?がソムリエ?という事でやはり自宅のワインセラーに200本程ワインを所蔵しているという青池夫人と歓談してもらいました。一方高島さんがヨットマンであることが判明、立教会の井上さんとの歓談の中で両方の母親が仲の良いお友達でお互いの家の場所を知っていたという奇遇もありました。

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 部屋を暗くして花火の時間となり2階のベランダに出て花火を鑑賞しましたが何と言ってもコロワイドが贈るグランドフィナーレのワイドスターマインと白銀の特大スターマイン(大空中ナイヤガラ)など尺玉の連発を含む5000発程が15分で打ち上げられる様は逗子海岸花火大会の人気が突出している感を毎年受けます。海上の3か所の台船から短時間に連続して沢山打ち上げる光景が花火の明かりで見え、海面を照らし、ヨットのポールの向こうに見えるのは何と言っても素晴らしく、風も無く海岸でマイクでの花火説明が聞かれない面はありますが混雑する雑踏の騒音を聞かないですむので良しとしています。

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 立教会さんには青山元会長さんも見えられていましたが、やはり前々回の50名以上集まった時を考えると参加者が少ない感じを受けました。それでも毎回写真家でもある立教会の斉藤みきさんが当校友会の写真も撮っていただき後日メールで頂きました。

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 花火鑑賞を終えて集合写真を撮り、片付けと間仕切りを元に戻し会場を後にしています。ゴミの処理を立教会さんの好意でお任せにしましたが、毎回有難うございました。

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 風もなく花火も良く綺麗に見えて最高でした。林夫人のご参加、根岸さんの娘さんとお嬢ちゃん、ゴルフ仲間の青池さん夫妻とヨットマンでもある高島さんのご参加も有難うございました。

 

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